■大島城小史
別名,台城。平安末期の時代,片桐氏により築城された。それから四〇〇年以上の後の天文年間,甲斐の武田信玄は南信の伊奈地方を勢力下に治める。そして元亀二(1571)年に甲斐武田家臣であった秋山信友により,大規模に改築なされた。南信の拠点として甲州流築城術を駆使し,遠江,三河,さらには美濃方面への前線基地として,築かれた城である。天正一〇(1582)年,織田信忠軍が信濃へ侵攻してくると,城主であり,故武田信玄の実弟である信廉は戦わずして,城を放棄して甲斐へと退いた。これは諸将が織田軍迫るの報に接すると,逃散しはじめ,戦うには戦略が著しく低下していたからだと言われている。天竜川を城の背面に配置して天然の堀となり,また前面には甲州流の特徴である三日月堀が二重に配置された堅固な要塞であった。
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