■小田原城小史
相模に居を構えた土肥一族が小田原に館を構えたのが始まりであるという。室町時代になると駿河の大森氏が,相模を支配すると同時に,この地に城を築いた。明応四(1495)年,伊豆を支配した伊勢新九郎が,大森氏から城を奪取し,関東支配の拠点に据えた。以後,およそ1世紀の間,北条氏の城として拡張を続けることになる。永禄四(1561)年には,長尾景虎が関東の諸将を加えて,およそ一一万の兵で小田原状を包囲するが,北条方は門を閉ざして籠城してこれを撃退。また永禄一二(1569)年には武田信玄が二万の軍勢でもって,同様に城を包囲するが攻城を諦めている。この様に名将と謳われた長尾景虎や武田信玄の攻撃を防いだ城は,当時としては長大な構えを有していた。総構えは城下町をも含みおよそ二里半(九キロ)もあったと言われている。ちなみに外郭の長さだけであれば,後の大阪城よりも大きいことになる。しかし北条氏が五代続けて死守してきた小田原城も,天正一〇(1590)年,豊臣秀吉の数十万といわれる大軍に長期の間包囲され,また支城が次々に落城したこともあり,まともに戦うことなく降伏して開城した。江戸時代になると,徳川家臣の大久保氏の居城となるが,巨大な城が江戸近くあることに憂慮した徳川家康の命により,大幅に城郭が縮小され幕末を迎えることになる。
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