沼田城

■沼田城散策


戦国時代を生き続けた真田家に興味があるなら、一度は訪れたことがあるであろう沼田城。

一昔前のことだが、「城」の存在だけを知っているという程度で訪れたことがあった。あの頃は沼田城の知識と言えば真田家が活躍した当時、保有していたといだけ。さらに付け加えれば真田信之が一時期、城主として居城にしていたというくらいだった。

それから月日が経って、沼田城を散策する機会があったので改めてこちらに記してみることとする。

沼田城は、利根川とその支流である薄根川のやや東側に位置する断崖の上に築かれた城である。国道一七号線もしくは同二九一号線から沼田城へ行くには、丘の上を目指して登る必要があり、その不思議な城の築かれ方が分かるだろう。

関越自動車道を利用した場合、沼田ICがもっとも便利である。しかしここからでは、その断崖に築かれたという沼田城の特色を掴むことは困難である。といっても城内へ入れば西側を望む景色から理解はしてもらえることと思う。

現在の沼田城は、沼田公園という名に変わり、公園として、野球場などのスポーツ施設として、近隣の人々に活用されている。駐車場はもちろんで整備されており、現地へのアクセスも良い。

本丸太鼓櫓 本丸の風景
本丸太鼓櫓 本丸の風景


沼田公園となっている城跡は、平成の世となると四季折々の花々を愛でることができる。また、都会の喧騒をひとときでも忘れることが出来、ゆっくりと時が流れる雰囲気にさせてくれる。

さて沼田城といえば、本丸跡に残る「太鼓櫓」ではないだろうか。復元されたものであるが、城のシンボルとして君臨している。こちらには天守閣はありません。しかしかつては天守閣が存在していたという。それも「五重」であったいうから相当に巨大な建物であったと想像できます。しかし真田氏が改易された際に幕府により破壊されたとか。

唯一と言って良い建造物である櫓をみても消化不良であろう。しかしこの本丸には発掘の結果として発見された遺構もある。それが「西櫓台虎口の石垣と石段」である。設置された説明板によれば真田時代の遺構だという。三〇〇年以上も地中に埋もれていたが、ここに来て再び地表へと現れた姿を観ることができる。当時とほぼ同じ情景が出現したわけだ。現在によみがえった石垣を見ることができる幸せを感じる時だろう。

西櫓台虎口の石垣と石段 石垣
西櫓台虎口の石垣と石段 石垣


本丸の西側へ向かうと「石垣」が現れる。ちょうど崖側に面した部分にある櫓台の石垣。沼田城といえばここの風景を想像する人も多いだろう。以前に訪れた際にはここで写真を幾枚か撮った記憶がよみがえった。ここから眼下の町並みを眺めると、城が断崖上にあることを再認識できることだろう。

本丸の北側は「捨曲輪」と呼ばれる曲輪跡である。こちらは本丸とは異なり、木々が生い茂った林である。また北側の眺望が開けているのも特徴だろう。北側を望めば上越国境の山々が連なっている。戦国時代当時、これらの山々を越えて関東へ入ってきた越後の兵達。その軍兵を率いては戦をした上杉謙信の思いはなんであったのだろうか。と、ふと考えてしまうしまうど、落ち着いてしまった。

捨曲輪からの景色 平八郎石
捨曲輪からの景色 平八郎石


この「捨曲輪」には「平八郎石」なる奇妙な石が柵に覆われて起っている。この石の由来は、かつて真田昌幸が沼田城を奪取した際に、敵方の武将であった沼田平八郎の首実検をしたといわれている。

本丸から「二の丸」へは現在にないものが当時はあった。それは堀である。現在も僅かに面影を見られるが、およそ一二間(24メートル)もの幅を持つ水堀が、本丸と二の丸を隔てていたという。さらに最近になって発掘をおこなったところ石垣などの遺構だけでなく、天守閣を破壊した際に出たと思われる廃棄物も埋まっているという。まさに地中はタイムカプセル状態だ。

 
■沼田城小史

沼田万鬼斎により天文元(1531)年に築城された。天文二〇(1551)年、関東管領上杉憲正が相模北条氏によって追われると、沼田城は北条氏の支配下となる。永禄三(1560)年、越後長尾景虎が率いる軍勢に攻められ、長尾家の直轄する城となる。天正六(1578)年、上杉謙信死後に起こった御舘の乱後の際、沼田城は北条氏の支配され、城代として猪俣邦憲が就いた。天正八(1580)年、武田家に属していた真田昌幸により無血開城された。これにより沼田城は武田氏の支配地となる。同年、沼田万鬼斎の子である景義により、沼田城が攻められるが真田氏により撃退。 天正一〇(1582)年、武田氏を滅ぼされると上野国は織田家の滝川一益が治める。しかし織田信長が本能寺で殺害されると、いわゆる天正壬午の乱を経て真田昌幸の支配下となる。しかし天正一七(1589)年、豊臣秀吉の裁定により沼田城は北条氏が治めることとなり、城代として猪俣邦憲が入城。同年、猪俣邦憲が真田領であった名胡桃城を奪ったことで小田原征伐が行われる。
 
■情報

築城年 :天文元(1532)年
所在地 :群馬県沼田市
関連武将:沼田顕泰、真田昌幸、真田信之
アクセス
関越自動車道 沼田ICより約10分



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