松尾城

■松尾城散策

飯田市松尾にある松尾城。気軽にむかった為か,辿り着くのに時間がかかり,あるいみ迷子になりかけてしまった。事前に下調べを怠った罰であろうか,その重要性を改めて感じた史跡巡りとなった。

現在,城跡として残っているのは本曲輪と二の曲輪であり,他の曲輪などは宅地や畑と化している。ちなみに二の曲輪の一部は駐車場となっており,車で訪れることも可能。

三の曲輪は個人様の土地の様なので,勝手に歩き回ることは憚れると思い,残念ながら断念。

こちらの松尾城は現在,城址公園として整備されている。駐車場を含めて,階段上に傾斜地となっているのが二の曲輪である。

この曲輪の真ん中を生活道路が通っており,南北(ほぼ)に分断されている。ちなみに南(ほぼ)側が公園として整備され,反対側が先ほどの駐車場となっている。

南側の曲輪。こちらは芝が植えられ広場となり,地域の人たちの憩いの場として解放されていた。この時も多くの児童たちが走り回っている光景を目にすることが出来た。

松尾城石碑 土橋を渡って本曲輪へと向かう。堀で囲まれ,さらに丘の様に盛りあがった地点が本曲輪である。本曲輪上には松尾城であったことを証明しているかの様にして,松尾城跡と刻まれた石碑が建てられている。

ここも整備されており,どうみても公園である。この風景だけを見せられたら城跡であると思う人は皆無に等しいだろう。

一部,展望台風な高台となっており,ここから眼下に眺める街並,そしてさらに奥に拡がる山並みは一見の価値があるだろう。

この本曲輪から東側へ斜面を降ることができる。途中で曲輪跡かと思わしきところがいくつか存在しており,またその一つは整備され休憩スペースとなっている。さらに進むと水が落ちる音を耳にする事が出来,あたりには畑が拡がってくる。

ちなみにこの川を毛賀沢川といい,不動ヶ瀧の音が聞こえたのだろう。またきちんと案内版を観れば分かることであるが,すぐ川の反対側には鈴岡城趾が存在しており,不動ヶ橋を渡れば歩行でもって両城を行き来することができる便利なところである。

 
■松尾城小史

松尾小笠原氏の居城。天文二三(1554)年,武田信玄の伊那地方への侵攻により,城主であった小笠原信貴は降伏し,以後は武田家に属する。天正一〇(1582)年,織田軍の侵攻に降伏。本能寺の変により織田信長が横死すると,今度は三河徳川軍の侵攻にさらされ,徳川家に属した。天正一八(1590)年,徳川家康が関東へ移封されると,城主である小笠原信嶺が松尾城からさり,城は廃城となった。
 
■情報

所在地 :長野県飯田市
関連武将:小笠原信嶺