丸山城趾

■丸山城趾散策

神奈川県に密着のローカル新聞を読んでいた時,その小さな記事に目がとまった。

丸山城趾が公園としてオープン。

連休中ということもあり,暇をもてあましていたわけではないが,ひとまず行ってみることに。

新聞の切り抜きとカンを頼りにむかったのが,神奈川県の中央辺りに位置している伊勢原市。

少々迷いながらも,宅地造成地付近であるにも関わらず,妖しく木々が茂っている城趾公園を難なく見つけ当てることができた。

公園入口にはきっちりと,「丸山城趾公園」という文字が刻まれたレリーフが迎えてくれた。

駐車台数は少なめだったが,あまり大きくない公園であり,また近所の人たちが憩う場と思えば妥当なところだろうか。

ちなみに丸山城は丘陵地に築城された平城であるため,この城跡も一段盛りあがった丘に位置している。

丘の上へ階段を登っていくと,そこはだだっ広い芝が植えられた公園であった。

ボール遊びや追いかけっこ,さらには小さな子供を連れて散歩している人などなど,老若男女問わず愉しめる空間となっていた。

城巡りという視点で眺めた場合,どこがその遺構であるのか探すのに苦労させられる。

それを解き明かすのが園内にいくつかある案内板だろう。

そもそも宅地造成や道路建設が予定されている中に存在していた城跡であるので,一通りの調査が終わればお役ご免ということで破壊されてしまったらしい。立地条件が悪く不運な城趾である。

現在ののこった部分,それが城趾公園として日の目をみているのである。公園を囲む様にして土塁が築かれているのが,その少ない遺構ということでしょう。ぐるりとまわってみたところ,子供をつれた家族の方達が多く,遊具であそんでいる子も目にするほど。

城というよりは,本当に公園にきている感じである。結局,城巡りというよりはピクニックという気分で終わってしまった丸山城趾。

たまにはこういう史跡巡りもありなのだろう。

 
■丸山城小史

鎌倉時代,糟屋氏の館があったとされている。室町時代になると,扇谷上杉氏の相模守護所として要所となっていた。また太田道灌が暗殺された地であるといわれている。その後,小田原北条氏が勢力を伸ばすにつれ,この地に城を築いた。現在,微かに残っている土塁などの遺構は,小田原北条氏によるものである。
 
■情報

別名  :糟屋城
所在地 :神奈川県伊勢原市