牧之島城
■牧之島城散策
国道19号線を長野市から松本市方面へ向かう途中,信州新町にその城跡は遺っている。目に見やすい位置に案内板がでているので,迷わず現地へ訪ねられた。
車で乗り入れると「堀」がまずは出迎えてくれる。ちなみにこの堀は「三日月堀」と名付けられていた。その奥が駐車スペースとなっているが,ちょうどここが「三の丸」であり,ちょうど「丸馬出」になっている。
ちなみに「丸馬出」という縄張りは,甲斐武田家の城作りの特徴の一つであるそうだ。
この「丸馬出」の南側まで,先の「三日月堀」がのびてきており,そこから犀川を眺めることができた。この牧之島城は三方を犀川で囲まれ,さらに断崖となっている。当時の情景を垣間見ることができる。
さて城の中心である「本丸」を目指すには,「丸馬出」から架かる木橋で堀を越えて行く必要があります。この木橋を渡る時の注意として立て看板が。
「自転車・馬の乗り入れは禁止します」と。馬もですか。
木橋を超えるとそこは虎口となっており,倒れた立て看板には「千人枡形」と記載されてました。ここはその名の通り,千人もの人が入れるほどに広い?という意味なのでしょうか。
両脇の土塁を超えてゆくと,開けた箇所が目に入る。そこがこの牧之島城の本丸であったとされるところだ。 今はその面影を残すものといえば,土塁で囲まれていることくらいだろうか。
「本丸」から「二の丸」行くに,空堀に架けられた橋を渡り,「二の丸」へと通じてます。橋の手前も「枡形」になっていました。
だいたい城跡の周辺をあるくだけでも,当時の城の構えがおぼろげながらも見えてきます。そして「二の丸」ですが,今では広場というかゲートボールの敷地となっている様でした。実際にプレイしてはいなかったですけど。
今回散策したのは,武田信玄の家臣である馬場信房が縄張りを行い,国の史跡に指定さている牧之島城でした。
■牧之島城小史
永禄九(1566)年ごろ武田信玄が家臣である馬場信房にせた城である。ちょうど善光寺平の海津城と深志こと松本のほぼ中間点に位置することから,越後の上杉対策の為の築城と思われる。城には馬場信房の管轄下にあった。天正四(1577)年の長篠合戦で信房が討死すると,子である信春に替わる。しかし武田家滅亡後は上杉景勝の支配下に置かれるが,会津へ移封後,徳川の統治下になる。それもわずかな期間のことであり,築城から半世紀たらずで廃城となった。
■情報
所在地 :長野県上水内群信州新町
築城年 :永禄九(1566)年
関連武将:馬場信房
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