前山城
■前山城散策
小高い丘陵に築かれた前山城。その入り口は以外にも住宅街、それも民家の脇を通る様に看板が設えてある。失礼の無いように進むと、裏山という表現があう山を登ることになる。
周囲は竹に覆われており、どこが道なのか定かでは無いが、人が通った跡と思しき地を踏んで進むと、そこは一面のリンゴ園となっており段々畑となっている。
前山城からの眺め
前山城入り口
この丘陵上の段は、段郭の痕跡と考えて良いのだろうか。それとも後の時代になって地主さんが作ったものであるのか定かではいない。
ただ城の図面などを見てみると、ここが郭の一部であったことが伺える。おそらく平成の世になってもその縄張りの痕跡は、そのままの状態であるだろう。
そして辿り着いた山頂。前山城の主郭である。
ここまで登ってくるのにあまり周囲を見る余裕なく、ちょっと行き切らせながらセッセと歩いてきた。現在は整備され神社も鎮座している。おそらく周辺住民にとっては、老若男女にとらわれる憩いの公園となっているのだろう。
桜の木々も植えられておりちょうど咲いていた。良い時期に来られたと満足。桜を眺めて小休止したら、城跡散策を続けることとした。
主郭の一番北側へ足を向け、そこからの眺望には心を打たれた。カメラの性能か、それとも撮影のウデの無さからか、写真ではその素晴らしさが伝わり難いが、実際に眺めるとしばらく佇んでしまう。
物見のための郭のようであり、ここから佐久平は一望できる。追分方面からの軍勢が佐久へ侵攻の状況や展開してくる様子など、つぶさに掴むことが可能であろう。
堀切を俯瞰
本郭
なお主郭に鎮座していた神社において、前山城散策を含めて当日の無事を祈願した。
あまり広くない主郭をぐるっとまわると、東西側は急峻な地形になっており、もし寄せ手が攻めて来ても難儀するであろう。また北側は最初に登ってきた通り、幾つかの郭が混在している。
主郭から南への郭へ向かうためには、一段ほど低くなった腰郭を歩んで行く必要があることがわかる。その先にあったのが堀切。この城の規模からすれば大きめかも。この堀切はそのまま城の東西を横切り、堅堀へとなっている。
しかし平成の現代では、ロープを使って登れる様、子共の遊び場に変貌していた。古城を身近で触れることができ、そこが遊び場になるとは、ちょっと羨ましい環境である。よく考えれば日本中に幾千ともある城跡。なにもしらずに足を踏み入れて、様々な経験をしている人は大勢いるのであろう。
さらにその先に向かうのだが草に覆われており、道らしきものを頼りに歩んで行く。すると大きな空堀が目の前に出現する。だがこれ以上は進めないと勝手に判断して来た道を戻ることとした。
下山する際には、主郭の南側にある堀から、東側の竹藪を抜けて降りて帰宅の途についた。
■前山城小史
伴野左衛門介長朝が築城したと言われいる。天文年間になると、甲斐武田家の佐久侵攻に伴い、天文十七(1548)年に落城。以後は武田家の城となる。天正一〇(1582)年、徳川家の依田信蕃に攻められ、城主であった伴野信守は自害し、前山城は陥落した。
■情報
築城年:文明年間
所在地:長野県佐久市前山
関連武将:伴野信守
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