桑原城
■桑原城散策
長野県諏訪市にある山城である桑原城。別名を高鳥屋城とも呼ばれているそうだ。そもそもは諏訪氏の居城である上原城の至城であったとか。
桑原城は国道二〇号から四賀信号を折れて北へ向かうと、右手に「桑原城跡登り口」の案内版が目に入る。その脇に駐車スペースが備えられているので、こちらに車を駐めて、いざ山登りだ。
ここから城跡までは林道をおよそ20分ほど登ることになる。ちなみにこちらの林道は「ウォーキングトレイルコース」の一つになっているそうだ。
さて城跡だ。まず東側の備えとなっている「空堀」が迎えてくれた。ちなみにこの桑原城であるが、山頂に「主郭」があり、尾根に沿って「郭」がいくつか築かれている山城となっている。
桑原城入り口
伝「首塚」
そのまま「主郭」を目指して山道を登ると、やがて拓けた地が東側に位置する「帯郭」だ。こちらには盛り土で作られた小山が右手にある。案内版によれば「首塚」であるとか。なんとここに埋まっているのか。そういば桑原城は諏訪氏が甲斐武田氏へ降伏した終焉の城であった筈。もしかしたら、なんらかの事情で命を落とした武将の・・・と考えてしまった。
しかし実態はそうではないらしい。後生の人々の間でその様に言い伝えられていただけの様だ。「土塁」なのかもしれないと思ってしまうのは、現実的すぎるのだろうか。
ちなみにこの「帯郭」は、「主郭」を東南から西側へ囲む様に延びている。この郭の右側の「土塁」が「主郭」になっているということだ。
「主郭」に立ってみた。桑原城では一番の広さをほこる郭だ。戦国時代の当時は、ここに諏訪頼重をはじめとした諏訪氏の家臣等が立て籠もり、甲斐からの侵攻者である武田晴信率いる武田軍と最期の一戦を覚悟していたのだろう。何を思い、何に期待を持ち、どう道を切り開こうとしていたのか。その想いは定かではないが、逃亡兵が相次いだことで降伏という結末を迎えたと歴史は教えてくれている。
桑原城の「主郭」
主郭から諏訪湖を眺める
「二ノ郭」へと向かうと、そこは起伏のある「郭」となっている。これは「堀切」で区切られたのであろうか。山頂まできた敵兵を防ぐためのものなんかと勘ぐってしまう。
この「二ノ郭」ここより眼下に見える諏訪湖を眺め、勝ちを見込めなくなった諏訪兵達は、夜陰に紛れて山を下り郷へと逃散したのであろうか。
どうしても桑原城というと、諏訪氏の悲劇を迎えた城という印象が強すぎてしまい終始、諏訪頼重やその家臣等のことを考えずには居られない登城となった。
■桑原城小史
諏訪氏の居城である上原城の支城の一つ。天文一一(1542)年、甲斐武田晴信が諏訪地方へ侵攻。同事に高藤頼継による同事攻撃を受けた諏訪頼重は上原城で籠城を画策するが支えきることが出来ず、桑原城へと逃れた。しかしさしたる援軍も無く、また家臣の逃散も相次いだことで、諏訪頼重は桑原城で降伏。そして廃城となった。
■情報
築城年:不明
別 名:高鳥屋城
所在地:長野県諏訪市四賀桑原
アクセス
車:中央道諏訪IC 車10分
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