腰越城

■腰越城散策

気にはなっていたが、なかなか訪れることが無かった城跡。機会はあっても足が向かなかった城跡。 そうした城跡はいくつもあるのだが、今回は埼玉県比企郡小川町にある腰越城を巡ることとした。

腰越城とは埼玉県指定史跡にもなっている山城である。あまり全国的には知られた城跡では無いが、比企郡に割拠する城跡のひとつとして押さえておきたい山城だ。ついでに、トレッキング用のシューズを新調したので足慣らしも兼ねての山城巡りだ。

腰越城へは車での利用も心配なく、「パトリア小川」という総合福祉センターに駐車することができる。ここから登山道の入り口までは5分とかからない近さだ。また、案内版もでており、道に迷うという心配もない。

さて登山道入り口に立つと、簡易的な木製の城門を彷彿させる門が向かえてくれる。これから登山というより城攻めがはじまるという思いを胸に、城巡りがはじまる。

腰越城の入り口 腰越城の縄張り図
腰越城の入り口 腰越城の縄張り図

しばらく山道となり、急峻な階段をしばらく登ると左右に道が分かれる分岐点。右手は別の山へ向かう道。そして左手側が目指す腰越城というわけだ。こちらにも城趾の簡易的な案内版があるので、縄張り図を持たなくても、なんとなく城の構造は理解できるだろう。

さてまず目指したのが、いきなりではあるが「本郭」だ。城の中心となるべきところ。

「本郭」は山頂部にあり、「本郭」を右手に仰ぎながらいったん南下。下っては登ってという山道を進むと「二の郭」へと通じる木製の階段が現れる。

「二の郭」は「本郭」より一段下がった地に位置する郭である。「本郭」への侵入を阻止するのを目的としたためか、最後の砦となるべく築かれたのを感じさせる郭である。さらに「本郭」へ向かうにためには2つの郭を通り抜ける必要がある。

一気に駆け上りたどりついた「本郭」。腰越城のなかでいちばん標高があり、また面積の大きい郭であるだろう。ここからの眺望はよく小川町の町並みも俯瞰することができ、反対方面に目をむけると秩父の山並みを堪能することができる。

腰越城の本郭 腰越城の二の郭
腰越城の本郭 腰越城の二の郭

なお「本郭」には腰越城を刻み込んだ石碑や、景色を楽しむ案内図、比企郡に点在する城跡の位置情報を記した案内版が存在している。

ここで城巡りは終わりでは無いので、さらに南側をめざして「本郭」を後にした。「二の郭」を通り過ごし向かったのが「小口」だ。思った以上に広い郭であるが、道はコの字に折れ曲がっていることがよくわかる。

さらに進むと「西の郭」となるが、その手前にはおおきな「竪堀」が行く手を阻んでいる。しかし平成の世ではこの「竪堀」を登り「西の郭」へと通じ道でもあるのだ。

さて「西の郭」。腰越城の全体を俯瞰した際に、出張った郭の一つである。比較的大きく、城南部の守りの要であろう。現在は木々に覆われてしまっているが、城が活動していた時期には各方角への視界が広く、近隣の城郭の様子も確認できていたのだろう。

「西の郭」から東側へ伸びる帯郭を通り、「二の郭」の南側を通ることができる。ここに当時のものかどうか定かではないが、石垣を確認することができる。

腰越城の西の郭 腰越城の囮小口の石垣
腰越城の西の郭 腰越城の腰越城の囮小口の石垣

その石垣に沿って「二の郭」方面へ急峻な崖を登れる様な「囮小口」。文字通り「囮」となる道なのだが、この先は行き止まりであり、脇からは城兵に見下ろされる始末。ここに誘い混み殲滅をはかるという城側の仕掛けをみることができる。

腰越城の囮小口 腰越城の「土塁」と「堀」
腰越城の囮小口 腰越城の腰越城「土塁」と「堀」

さらに進むと城内最大規模と思われる「竪堀」が出現。いくつか竪堀を確認することができるが、こちらが大きく見応えがあるだろう。

城の守りの基本となるのが「土塁」と「堀」だろう。ここでは「土塁」でかこまれた「横堀」の中を歩く事ができるのだ。落ち葉などの腐葉土に固められ、実際の深さは確認できないが、発掘や復元などで手を加えれば、相当に見応えがありそうな雰囲気を持っている。

手軽に登山を堪能できる山城。登山をメインにすると物足りなさが出るが、城跡を巡りを考えれば少ない時間で楽しめる山城である。

 
■腰越城小史

治承年間頃に築城されたと伝承がある。戦国時代の「関八州古戦録」にも青山城とともに登場してくるころから、上田氏による城と考えられる。松山城の東を守る城として改築された。
 
■情報

築城年:1180(治承四)年
別名:根古屋城
所在地:埼玉県比企郡小川町
主な遺構:竪堀、土塁、空堀
関連武将:山田伊賀守直定
アクセス:関越自動車道 嵐山小川IC より30分



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