■小諸城小史
この地を治めていた豪族大井氏の鍋蓋城であった。天文年間に武田信玄が小県侵攻に陥落。それ以降は武田家の北関東進出の拠点となり,家臣であった山本勘助,馬場信房の両名に築城を命じたのが小諸城の始まりである。この城は周囲よりも一段,低い位置に築城されており「穴城」とも呼ばれている。武田家が滅した天正一〇(1582)年には一時,滝川一益の支配下に置かれたが,本能寺の変で織田信長が没すると,相模の北条氏と三河の徳川氏との間で争奪が繰り返された。豊臣秀吉による小田原攻めの後,小諸城は仙石秀久が領する事になる。天正一八(1590)年のことである。この秀久が没する慶長一九(1614)年までに,現在の様な城構えに改築されていく。以後は徳川幕府の直轄地となり,代々徳川譜代の大名が城主を務めた。
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