川中島古戦場
甲斐の武田信玄と越後の上杉謙信(永禄四年当時は政虎ですが、謙信という名前が一般的だと思うので、こちらを使わせてもらいます。)が死闘を演じたとして有名な「川中島の合戦」。資料的には五回ほど両軍が対峙したことになっております。その中でももっとも過酷であった永禄四(1561)年の合戦、そして武田信玄が本陣に据えたのが現在の八幡原史跡公園です。
今回は真田町へ行った際に時間があったため、地蔵峠経由にて訪れましたが、車では上信越自動車道の長野ICから長野市街地方面へ向けて車を走らせればすぐに到着する距離です。
現在は本当に公園になっています。芝生が広々と生い茂っており、天気が良ければ食後の昼寝にちょうど良さそうです。また園内には小川が流れていたりして、散歩にはちょうど良さそう公園です。余談になりますが、売店には「風林火山」や「毘」の文字が入ったグッズが購入できます。ここでの見所はやはり川中島合戦の代名詞ともなっている武田信玄と上杉謙信との一騎打ちではないでしょうか。
訪れる者は必ずと言っても良いほど、両者の一騎打ちの像を目にすることでしょう。太刀を振りかざす馬上の謙信、それを床几に腰掛けた信玄が軍配で防ぐという「三太刀七太刀」の構図である。今までに巡った史跡にある像のどれを比べても、やはりこの一騎打ちが一番だと未だに思っています。子供の頃に初めてこれを目の当たりにしたのがキッカケで、歴史に興味を持ってしまったのかもしれない・・・とつくづく思います。この見事な像は私が子供の頃からあるのは確かですが、いったい造られてからどの位の年月が経ったのでしょうか?ちょっと気になります。
総大将自ら、しかも相手陣内へ単騎で侵入し、相手の総大将と一騎打ちを行うなど、源平時代(あまり詳しくありませんが・・・)でも少ないのではないでしょうか。しかしこの一騎打ちには曰くがあり、謙信と思われた人物は別人だったとか、信玄は影武者であったなど、さらにそもそも一騎打ちなど無かったなどなど、諸説ある様です。
さて、一騎打ちの像の周りに目を配ると、幾つか当時を思い起こさせるものがあります。まずは「執念の石」。武田信玄と上杉謙信との一騎打ち。これを目の当たりにした武田家武将、原大隅守は手に槍をとり主君の危急を救う。しかし寸前の所で上杉謙信を逃してしまったと言われている。原大隅守は、上杉謙信という大魚を逃してしまった悔しさと無念さから、ちからいっぱい槍で近くにあった石を突いたところ、なんと槍は石を貫通してしまったらしい。「執念の石」はこの様な伝説をもっているという。
さらにはこの合戦で討ち死にした者を弔った首塚。高坂弾正昌信が味方(武田軍)、敵(上杉軍)の区別無く、両軍の戦死者を合戦後にここへ集め、弔ったと言われている。
ここにあげただけでしたら、それほどの時間を掛けずに見て回れます。また一騎打ちの像の前は、やはり記念写真のメッカの様でした。また合戦についての案内板もありました。
またこの合戦では、武田軍の名のある武将が戦死している。80歳を越える老兵でありながら合戦に参加したと言われる諸角豊後守。足軽大将かそれとも軍師か?と謎多き人物である山本勘助。そして武田信玄の実弟である武田典厩信繁。それぞれにはこの近辺にお墓があるのですが、今回は行けなかったので次の機会に行けたらと思っています。
さらに川中島古戦場巡りと言っていながら、肝心の上杉謙信が本陣を構えた妻女山へ言ってませんでした。こちらも次回には散策する予定です。
所在地
長野県長野市
アクセス
バス:JR長野駅からおよそ20分
車:上信越自動車道長野ICより5分
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