金沢城

加賀百万石として有名な金沢。その中心となったのが金沢城です。

金沢城へは、金沢駅から「城下まち金沢周遊バス」を使用すればおおよそ15分ほどの距離です。ボンネットバスでの運行ですので、普通の路線バスとはひと味違った楽しみがあります。バス停を降りるとすぐ目の前が金沢城のシンボルとも言える石川門。その反対側には日本三大庭園の一つでもある兼六園があります。

ちなみに金沢城とはその昔、尾山御坊という名の一向宗の根拠地の一つであったそうです。そして天正一一年に前田利家が入城後、客将の高山友照が城の縄張りを行い、改築し名称も金沢城に改めたそうです。

城散策の順路通り(?)にまずは石川門から向かって行くことに。国の重要文化財にも指定されているこの石川門は、宝暦九(1759)年の火災で焼失してしまった様だが、天明八(1788)年に再建された物だそうです。またこちら側はお城全体からみて裏手に当たる搦手門になります。よ〜く門を監察すると門の屋根が雪が被って様に白っぽく目に映ります。これは後述する五十間長屋の所で知ったのですが、屋根にある瓦の代わりとして鉛が用いられており、その為にこういった色に見えるそうです。 石川櫓

門をくぐるとそこは三の丸に当たる広場となります。一面、芝が茂っており、その向こうには復元された菱櫓・五十間長屋・橋爪門続櫓が目に入ってきます。この復元された櫓や長屋へは中に入り、鑑賞することができます。この櫓や長屋を外側から鑑賞しながら、内堀にかかる橋爪橋、橋爪門を通り抜けて二の丸へと向かいます。

さて、復元された櫓および長屋へ入るとまず向かうのが菱櫓です。ここはその名が示している様に櫓の形が菱形になっていることから、この名がついたそうです。櫓の四隅をみれば、90度の直角でないことで分かると思います。また一部に床が透明になっている所があり、柱などを組んだ建築技術を目でみることができます。ちなみに石川門の石川櫓もここと同様に菱形になっているとか。

二階に上がると五十間長屋の空間が目に入ってきます。五十間長屋は復元された木造城郭建造物の中では最大の物だとか。五十間長屋はその昔は武器庫と城壁を兼ねた建物だったそうです。一間が1.82メートルだとすると五十間は・・・91メートルほどになるでしょうか。ここではモニターを利用して、この建物の復元方法をCGを用いて説明していました。釘などは使用せずに「ほぞ」や「ほぞ穴」と呼ばれる木材の凹凸を用いて組まれ、日本古来の柱と梁・桁を持つ方法で、耐震性も考慮して建築されたそうです。総工費も数十億円だとか。ここを見て回るだけで本物の木造建築を堪能できる建物ではないでしょうか。 橋爪門,橋爪門続櫓,五十間長屋

橋爪門続櫓と五十間長屋の間は一階から二階へが吹抜になっていた様で、現在ではその吹抜を利用してエレベーターを設置してありました。

またここではガイドしてくれる人もいる様で、後ろの方からそっと拝聴していると、知られざる金沢城の秘密などを語っていました。たとえば土塀の話。外から土塀を見るとただの壁であり、他の城でみられる様な鉄砲狭間がみあたりません。しかし実際に鉄砲狭間が無い訳では無く、通常時は板瓦でふさいであり、いざという時になってその板を取り外すという隠し狭間になっているそうです。また屋根には瓦は用いずに、木材に鉛をかぶせて作ってあるそうです。理由は色々とある様です。この地方は雪が良く降り積もるので、屋根の雪が滑り易く瓦では無く、鉛を用いているとか。または籠城という危難に遭遇した際に鉄砲玉として用いようとしたとか。しかしこの鉛の屋根にも欠点があるようで、一般の瓦に比べて熱に弱いそうで、ひとたび火事見舞われれば、鉛は溶け出してしまうというらしいです。

金沢城はこの復元された建造物の他にも見所はあります。

二の丸から本丸へ向かう堀を渡る際に利用する極楽橋。当時、本丸があった辺りは木々が生い茂る林となっています。その本丸の周りには戌亥、辰巳、そして丑虎の三つの櫓あとがあります。戌亥櫓跡からは二の丸、三の丸を、辰巳櫓跡からは遠くの山並み、そして丑虎櫓からは石川門をと、それぞれの櫓から色々な景色を楽しむことができます。

よく加賀百万石と言われているが、その城下町とはどんな雰囲気をもっているのだろうか。金沢城周辺に点在している武家屋敷などを散策すれば、その一部をかいま見ることも出来ますので、足を向けてみてください。


所在地
石川県金沢市

アクセス
JR北陸本線金沢駅よりバス15分