■岩村城小史
鎌倉時代,文治元年(1185)年に加藤景廉により築城される。景廉の子である景朝の代に美濃遠山庄に移り住み遠山姓を名乗る。元亀元(1570)年,城主であった景任は武田信玄に攻められるがこれを防ぐ。しかしその翌年景任が病没。織田信長の五男を養子に迎え,遠山氏を継ぐが采配は未亡人おゆうの方が振るっていた。元亀三(1573)年武田方の秋山信友に攻められ降伏。おゆうの方は信友の室となる。天正三(1575)年織田信忠の軍勢に攻められ,秋山信友夫妻は助命を条件に降伏し落城,しかし夫妻は長良川河川敷で逆さ磔の刑で処刑される。織田家統治時代,河尻秀隆から森蘭丸,長可,忠正(と伝えられている)と城主が変更されるが,城代として各務兵庫助が城を整備する。本能寺の変後は田丸直昌が入城するが,関ヶ原の合戦で石田方に就いたことにより改易。徳川家康は松平家乗を城主に据えた。家乗の時代に城下町が整備された。
|