広島城
別名「鯉城」。広島カープはここから「鯉」をとったのでしょう。広島城というと福島正則の居城というイメージが先行しがちであるが、この地へ城を築いたのは毛利元就の孫である輝元でありました。
広島城へは広島駅から歩いても行けますが、路面電車を利用しても可能です。今回は平和記念公園から原爆ドームを眺めつつ、市民球場の脇を通り、北上するかたちで城へ訪れてみました。
城南通りから向かって行くと、そこはすでに三の丸跡との事です。この通りも含まれるらしいです。さてこのお城の場合、真っ先に目に入ってくるのが掘の向こうに見える復元された二の丸ではないでしょうか。
堀に掛かる「御門橋」、その橋の先に建っている表御門。まだ復元されて10年の時は経ていないと思われます。
また堀に沿って平櫓櫓、多聞櫓、そして太鼓櫓も復元されております。こちらの方へは中を見学することも出来る様で、訪れた当日には、警備会社の人がポツリと椅子に腰掛けておりました。
櫓の中には浅野家に関する事が展示してあり、また山城の模型も飾られておりました。さらに毛利元就が三人の息子に当て記した「三子教訓」(もちろん本物ではありませんが・・・)が展示してあります。ここから表御門の内部にも入る事が可能ですが、扉を閉めなくては成らず、窓も無いという締め切った状態なので暗闇に近いです。
そこから奥に本丸へ。中御門跡を抜けて進んで行くとそこは靖国神社であり、脇のベンチでは昼寝をしている人の姿も見受けられました。たしかにこの暑さ、でも日陰で当たる風が気持ちよかったりする。その先に見える木々の向こうに復元天守は存在していました。
現在は復元された天守ですが、昭和20年8月6日の朝までは、福島正則時代に築城した当時の天守閣が、その状態の姿で残されていたそうです。しかし原爆によって一瞬にして灰と化してしまったとか。またその時の衝撃によって一瞬、天守自体が持ち上がってから崩れる様にして吹き飛んだという話を耳にした事がありました。
そして復元された天守閣。中は広島城にちなんだ資料館になっております。一層、二層目は広島の町にちなんだ展示物があります。
そして三層目には刀剣や甲冑などが展示されております。全体の展示数に比べると、刀剣の割合が高かったのは気のせいではないでしょう。ここの展示物全てに対して言えることですが、毛利氏および福島氏が城主であった戦国時代に関する物品は少ないです。ほとんどが浅野氏時代またはそれ以降の物がほとんどです。
四層目は「入れ替え中」という札が掛かっておりました。色々な企画によって展示物もかわるのでしょう。
そして五層目が天守となっており、広島市内を見渡すことが出来ますが、遠くをみるとかすんでしまっていたのが残念でした。
広島というとやはり原爆という印象が強いと思います。先にも書きましたが城巡りの前に「広島平和記念資料館(http://www.pcf.city.hiroshima.jp/top.html)」へ立ち寄ってきました。展示物などを眺めていると、思っていた以上の内容に胸が痛くなる思いで、すぐには城見物をする気分にはなれない状態でした。
そういえば城跡にも被爆したユーカリの木も残されており、平和というモノを考えさせられてしまいます。
所在地
広島県広島市
アクセス
鉄道:JR山陽本線広島駅徒歩15分
|
---|
|