平井城

■平井城散策

関東管領といば室町時代,関東地方でもっとも権力をもっていた鎌倉公方を補佐するための役職名。武家の棟梁である将軍が自ら任命するというほど栄誉ある役職でもある。

その関東管領である上杉憲実が,上司でもある鎌倉公方の足利持氏との軋轢により,上州へ退いた時に築いたのが今回訪れた平井城。

群馬県の指定史跡にもなっており,藤岡ICをおりた後,しばらく車を走らせることおよそ20分。「関東管領 平井城」を指し示す案内版が所々に目に付いた。といっても1キロ以内に近づかないとそれは確認できないのだが。

現在は平井城址公園として,復元を含めた整備が施されている。

ここに訪れるとまず迎えてくれるのが,復元された土塁と「関東管領」と記された幟のある主郭跡。現在整備されている辺り全体が主郭(本丸)となっていた様で,その一部に車を駐めるスペースも用意されている。

城内では平井城について幾つかのパネルを用いて,城の歴史や城主であった山内上杉氏についての説明が施されている。もしも知識が皆無であってもここで知ることもできる。さらに周辺地図もあり関連史跡が紹介されていた。城好きであれば近所の詰め城である平井金山城へ行くのをお勧め。

主郭(本丸)南部は絶壁となっており,眼下には鮎川の流れを眺めることができる。またこの辺りには「上杉一族の碑」や「家系図」,上杉謙信が奪回・回復した城などの標も目にすることが出来た。

また主郭(本丸)の東側には,復元された空堀やそこに架かる木橋をみることができる。しかしここへは一端,車道を出て迂回していかなければ,たどり着くことができない。その間には養豚の小屋があるからだ。

この東側の辺りからは豚の鳴き声を聞くことができる。なんとのどかな住宅街であろう。

さらに二ノ丸,三ノ丸は現在では,民家や畑となっており,その当時の姿を偲ぶことは出来ない。しかし整備が行き届き平井城址というよりは,平井城址公園というのが現在の姿にあう呼び名であう。
 
■平井小史

永享一〇(1438)年に鎌倉公方足利持氏との間に軋轢が生じ,関東管領であった上杉憲実が上州のこの地へ逃れた時,家臣の長尾忠房に築城を命じたのが平井城のはじまりである。ちなみにこの後,永享の乱が勃発する。天文年間になると小田原の北条氏により攻められ,遂に天文二一年(1552)年に平井城は北条氏の攻撃を支えきれずに落城。城主である上杉憲政は越後の長尾景虎を頼り遁走する。永禄三(1560)年には長尾景虎により城は奪還される。しかし景虎はこの地を重視されること無く,城自体の存在が戦略的にも無用となり廃城となった。 。
 
■情報

所在地 :群馬県藤岡市
築城年 :永享一〇(1438)年
関連武将:上杉憲実,長尾忠房,上杉憲政