浜松城

■浜松城散策

ちょうど桜咲く季節でもあり、多くの人で賑わう浜松城へを訪ねた。今回は餃子と温泉と大河ドラマ館がメインの旅行であり、珍しく城跡巡りが主で無い旅行の浜松城巡りとなった。

城跡は市民公園として整備されており、主に「天守曲輪」、「本丸曲輪」、「作左曲輪」の跡となる。なお「作左曲輪」の作左と、徳川家康の家臣である本多作左衛門重次のことであり、鬼作と言われた武将のことである。

現在の「作左曲輪」は樹林の地となっており、ちょうど天守から見下ろした位置にある曲輪である。とても「鬼」という名からは想像も、連想もつかない静寂なところとなっている。

目指す先は天守。模擬でも復元でも、野面積み石垣に立てられた「天守曲輪」へ向かった。そこには黒と白の天守が君臨している地。その天守を支えているのが、大小さまざまな石を組み合わせられた石垣。

近世城郭の石垣の様に綺麗にまとまっておらず、無骨な戦国武将に似合う野面積みの石垣。この石垣を眺めていると、築城してから400年の時が経過していても、崩れることなく現代まで残っていることは、言葉ではいいつくせない長い歴史の重みを感じる瞬間でもある。

せっかく来たのだから天守に入城してみた。余談ではあるが¥二〇〇という値段は、見返してみると以前の時よりも若干の値上げとなっている。

当日の天守内部は人、人、ひと、ヒト、まさに群衆であった。地下の井戸を見るのも、天守からの眺望を楽しむのも順番待ちというほど。それでも三方原台地の方面を眺め、武田信玄に大敗した姿を想像し、南の城下を眺めて城主気分に浸ったりと楽しいひとときでもあった。

ちなみに今の浜松はビル群に囲まれた街であり、当時の面影を思い返せるのはこの浜松城跡地だけかもしれない。

なお天守曲輪には前回にはなかったはずの城門が築かれている。「天守門」。立派な櫓門が平成二五−二六年にかけて復元されたとか。
天守の石垣 天守
天守の石垣 天守

さて浜松城には天守以外に外せないところがもう一点あった。それは徳川家康の像。

過去に来たときは生い茂った葉に姿が消される始末。今回はそのリベンジでは無いが、きちんと姿を拝んでおきたいという思いを持っている。 さてさてそのお姿は・・・・。
徳川家康の像 徳川家康の像
徳川家康の像 徳川家康の像

立派なモノである。
本丸の地にたっているのは若き日の徳川家康。
これだけみられれば今回は満足というべきだろう。もっと周辺も散策してみたかったが時間の都合で、駆け足で回って終了となった。やはり城跡はゆっくりと、楽しみながら散策したいものです。

 
■浜松城小史

そもそもは曳馬城という名の城であった。徳川家康が元亀元(1570)年に入城してから浜松城と改名。これに伴い城の改修おこない現在の基礎となる城郭を形成。 家康は天正一四(1586)年、駿府へ本拠を移すまで本拠として在城。天正一八(1590)年、豊臣秀吉家臣の堀尾吉晴が入城。関ヶ原合戦後は多くの諸大名が代わる代わる入城。藩政の歴史で25代の藩主が生まれていたが、その中で大坂城代や京都所司代など多くの者達が出世したことから、別名を出世磁路とも呼ばれる。
 
■情報

築城年:永正年間(1504年〜1520年)
別名: 曳馬城、出世城
遺構:石垣、曲輪
所在地:静岡県浜松市
関連武将:徳川家康,堀尾吉晴,堀尾忠氏
アクセス:東名高速道路浜松ICより約30分(駐車場あり)



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