八王子城

■八王子城散策

近くて遠い名城,八王子城。日本100名城に選ばれているとか。そんな制度がある自体,知ったのがつい最近のことであるが。

城の入り口までは車で行くことが出来る。そこからすぐのところに案内所があり,パンフレットをもらっていくのが良いだろう。

今回はいままでと趣向が違うお城巡りとなった。ボランティアの人による説明付き。三重からきたというご夫婦の方に同行させていただき,八王子城を隈無く巡らせていただいたのだ。

まずは居館地区周辺を巡ることに。

管理棟で配布しているパンフレットを片手に,大手の門跡をまずは見学。円形状になっている大手門前の広場。その先は古道が復元されており,御主殿へと向かっている大手道だ。

聞くところによると,この古道は戦国当時にはかなりの広さが確保されていたとか。左手側には大きく堀切などが確認でるそうだ。

古道から御主殿へ向かうには,曳橋という橋を渡って行く必要がある。なんでも腐りかけており,わたる際には注意しろとか。なんと危険な橋。命がけである。

そういえば橋のしたには河が流れているはずであるのだが,例の道路工事の影響でもって,水が絶えているとか。なんとなんと・・・その道路の早期完成を願っている身としては心痛い。

橋を渡りたどり着いた先は,虎口と呼ばれる主殿への入り口である。石垣でもって固められたその姿に,北条氏照という人物の偉大さが伝わってくる。またここの石垣は忠実に発掘後に組み直したものだとか。一部の石には番号がうっすらと残っていた。

虎口から御主殿へ向かう石段の途中に櫓門があったと伝えられている。落城当時にそれが倒壊し炎上,その炎によって焦がされた痕が石にのこっている。八王子城の攻防戦がここで身にしみることであろう。

石段を登り,いざ御主殿跡へ向かうと,そこは広大な広場であった。当然ながら今は何も無く,当時でもここ目一杯に館があったわけではないそうだ。

さらに城巡りは続いた。そこから山頂まで30分ほどのコースを登ることに。

御主殿跡から,山頂をめざすルートでの散策路。その道は険しく,気軽なハイキングとは違いワクワクするコース。

その道の途中では,斜面にそって積み上げられている石垣を見つけられる。幾つかの段となっている石積。このあたりでは,石切場としても当時は使われていたと説明を受けた。 やがて上り詰めた再起は山王丸と呼ばれる曲輪。ちょっと手狭な感じがするこの場所。おそらく柵や建物があったのかどうかも分からない場所。

密林の様な木々に覆われた山道をさらに歩き登って行った先には,城の中枢だったと思われる曲輪へ。ここは松木曲輪,小宮曲輪,そして本丸に囲まれた所です。

小宮曲輪から本丸へ向かう道,獣道の様にも思えるのだが。この道には多くの笹が生えており,北条氏照の時代にはこれを加工し矢として用いられたとか。

こんなところにも戦国時代の雰囲気を感じてしまった。

本丸は城の規模からすれば小さい曲輪。ここが本丸であることを示してくれる石碑がありました。

今度は山城を下ることになるのですが,今回は素人一人の城散策ではないというのを体験できる行程となった。途中,東京都下を眺望できる山道をあるきながら,金子曲輪に崩れかけている石垣。まだ手つかずの箇所があり,当時の情景を思い起こされるカタチで残っているところがすばらしい。

こんな近所に当時の面影を残しながら,山城が存在していたとは驚いた。こんどはもう少し勉強をしてから訪れるべきところだろう。
 
■八王子小史

天正一五(1587)年に北条氏照により築城された。従来の本拠地であった滝山城。武田信玄が小田原攻めを行った永禄一二(1569)年,北関東からの防衛に限界を感じた滝山城に変わりって,築城された城である。この八王子城は中央で覇を唱えつつあった織田信長の居城である安土城を参考にして縄張りが行われたといわれている。
天正一八(1590)年,上杉景勝や前田利家,真田昌幸といった諸将の軍勢に攻められ,6月23日に落城した。城主の氏照はこの時,兄氏政らと共に小田原城にいたため,城は横地監物や,狩野主膳らおよそ一〇〇〇人で守っていたと言われている。
落城後は廃城となり,徳川時代以降は人の手が加わることが無く,戦国の城の雰囲気を現代に残す数少ない城である。 。
 
■情報

所在地 :東京都八王子市
築城年 :天正一五(1587)年
関連武将:北条氏照