■郡上八幡城小史
永禄二(1559)年,遠藤盛数により砦が築かれたのが郡上八幡城の始まりである。天正一〇(1582)年に起きた本能寺の変において織田信長が急死すると,羽柴秀吉と織田信孝の対立が美濃で表面化。織田信孝派であった遠藤慶隆は追放される。替わって当地を収めたのが稲葉貞道でった。稲葉貞道は四万石で城主となり,また天守閣や二の丸などを建造するなどし城の大改築されていった。しかし慶長四(1600)年の関ヶ原合戦において,徳川側に付いた遠藤慶隆が戦功により,郡上八幡の地に封ぜられた。与えられた禄高は二万七千石だった。
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