五稜郭城址

■五稜郭城址散策

北の大地、函館に築城された城といえば五稜郭である。その縄張りは五角形の星形をしており、日本には2つしかないという貴重な存在だ。

戦国時代という区分では全く関係の無い城であるが、訪れる機会があったので載せておく事。

五稜郭の南にある五稜郭タワーに登り、ここから眺めればその星形の姿を目にすることができる。しかし実際に城跡を歩いていたのでは、縄張り図を手にするのならまだしも、ただ歩くだけでは星形であるなどと想像するのは難しだろう。

五稜郭は四面を水堀に覆われており、南には半月堡が表門を堅く守備する様に突き出ている。半月堡に足を踏み入れると、この先端はかなり鋭角であるのがわかる。この半月堡は現在、1つしか残存していないが、築城当初の計画では他に4つ構築する予定だったと言われている。


造らなかったのは単に予算が関係したというのは本当だろうか。

さて表門へは水堀に架かった橋を割り向かう。そこでは石垣が出迎えてくれるのだ。この石垣、内側から見ると土塁である。五稜郭は石垣で一段高いところに築城されたわけではなく、囲む様にして土塁が続きその外側を石垣で覆っているのだ

中央部には和風建築の函館奉行所が復元されている。中も見学することが可能だとか。今回は時間の関係で素通りしたが周りからは十分に堪能した。


基本的に一面芝が植えられ、木々が生い茂った近所の公園といった雰囲気。

また時々見隠塁という内部を遮る塁があり、古井戸、大砲、仮牢跡、公事人腰掛跡、仮蔵などといった当時の情景を想像することもできるのだ。また北側の裏門には空堀もみることができる。

この五稜郭、周りの土塁上を歩くこともできるのだ。すると五角の先である鋭角部分がよく分かる。そして以外と小さめの縄張りであることにも気がつく。ここにこもれるのは二〜三〇〇〇人といったところだろうか。実際にはどの程度かわからないが。

この地に榎本武揚や土方歳三といった面々が足を踏み入れたということを思えば、かなり感慨深いものである。

ここに来て一番の良さは、この土塁上を歩き景色を眺めつつ城を俯瞰して、函館戦争の激しさに思いを寄せることかもしれない。

 
■五稜郭小史

北海道函館市に建造された星形の城郭であり、日本では長野県佐久市の龍岡城とならんで2箇所しか存在しない。日米和新条約締結後に函館港が開港するが、ここに中枢となる城を築城することになった。そこで洋式軍学者の武田氏を採用して、欧州における稜堡式を用い、星型で縄張りを行った。しかし資金不足など様々な理由から、戦闘力は抑えられ奉行所としての役割を担う城として完成さる。一説にはすでにこのカタチは時代遅れであり、また未完成であるとも言われている。函館戦争では明治元(1868)年、大鳥圭介や土方歳三などにより旧幕府軍が占拠し、函館政権を樹立する。しかし翌二(1869)年には早くも新政府軍に攻撃にさらされ、五稜郭自体にも洋上からの艦砲射撃を喰らう。そして函館政権は海の藻屑と消え去り、新政府軍へ五稜郭は明け渡された。
 
■情報

築城年 :安政四(1857)年
所在地 :北海道札幌市
関連武将:榎本武揚、大鳥圭介、土方歳三


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