■後閑小史
依田忠政が嘉吉元(1441)年ころに築城したと言われている。弘治二年新田信純が城主となり,箕輪城主長野業政の旗下に入った。永禄二(1559)年に長尾景虎が上杉憲政の懇願を受け,関東へ出陣してくると,甲斐の武田氏を頼り幕下となる。武田信玄が箕輪城を落とした後,永禄十(1567)年に後閑(新田)信純が城にはいった。
天正一〇(1582)年武田氏滅亡後,信純の嫡男信重は上杉方の北条高広に従い,次男重政、三男信久は小田原の北条氏に従う。後閑氏は城を出ることになる。天正十二年(1584),松井田城の大道寺政繁の支配下となるが,北条氏が豊臣方に降伏をするとそのまま廃城となった。
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