二俣城

■二俣城散策

天竜川と二俣川の合流地点に築城され,要害堅固を誇り,甲斐の武田信玄と三河の徳川家康との間で攻防が繰り広げられた二俣城。

東名自動車道の袋井ICより北上し,田園地帯を走って行くと,やがて天竜川に行き当たる。ここまでくれば目的地である二俣城はすぐ間近。ちなみに以前は静岡県天竜市であったが,平成17年7月1日の合併により浜松市となったそうです。

さて二俣城ですが,車でいったにも関わらず,迷うことなく現地へ到着。駐車場もあるので,車でいっても大丈夫。 しかし二俣城へ向かう道は一部狭くなっており,すれ違う時に幅が広い車種だと苦労する可能性があります。

入り口付近に駐車スペースがあるので便利な城跡。二俣城址の碑が建っていところから、中へ歩いていくことができます。ちなみにここは散歩道の様になっておりました。

本丸へ向かって暫くすると、どこからかアナウンスが聞こえてきます。その声に耳を澄ませば二俣城の歴史を説明している様です。今までに城跡をいくつか歩いて来ましたが、特に天守閣など施設の無いところでの説明アナウンスは初めて(と思う。)のこと。

緩やかな坂になっている通路を進んでいくことになるのですが,ちょうど左手にあたるところが「北の曲輪」だったとか。今は旭が丘神社となってました。逆に右手側をみると天竜川の川波がのぞけます。

やがて歴史を語っているアナウンスを聞きながらおよそ5分、二俣城の本丸跡に到着です。「本丸」手前の「喰違虎口」が入り口となってます。

本丸は現在では広場になっており,こういった城跡にしては広々とした平地でした。その広場の奥に石垣でできた「天守台跡」が残ってます。

天守台には誰でも気軽に登ることができます。ここから眺める天竜川は絶景・・・と言いたいのですが,木々がじゃまをしており,なんとか隙間から見られる程度でした。それでも当時がそうだった様に,城が川によって守られているのを実感できると思います。その奥へと進むと花壇になっている「二の丸」。そこから「虎口」を過ぎると急な下り坂に。

そうこうしていると木々が鬱そうと茂り,太陽の光が遮断される中。セミの声だけが辺りで鳴り響いているのは,少々不気味な感じがした。(虫嫌いな人間だからだろうか?)

そんな中,すべり台や木で出来た馬の遊具が,道の両端にでてきた。これまた嫌な映画のワンシーンの様だ。ちなみにこの辺りが「西の曲輪」だったところ。しかしそれはを知るのは後の事でありました。

その先に行くと休憩できそうな,ベンチが用意されているスペースがある。しかしこんなところではくつろげないと思うのは自分だけでは無いはず。とっとと先に足をはやめた。しかしこれまた後で判明したことだが,ここが「水の手曲輪」があったと言い伝えられていたとか。

この先からは明かりが差し,そらがくっきりを見えてきた。しかしここは天竜川の堤防。戦国時代の当時はここは二俣川との合流地点だったはず。さらに堤防を挟んで天竜川の反対側の住宅地は二俣川の底だったはず。

時代が変わると景色も一変するものだと思いながら,二俣城をあとにした。

今回は二俣城だけを見学したが,清瀧寺を訪れなかったことに後悔。ここには二俣城の攻防戦で必ず出てくる「井戸櫓」が復元されているとか。ちょっと拝見したかった。

 
■二俣城小史

永禄一二(1569)年,遠江へ侵攻した徳川家康が攻め取り,中根氏を城主に据えた。元亀三(1573)年に甲斐の武田信玄がにより攻められ中根氏は降伏,そして開城したあとに,依田信守が入れ替わりに入城。また天正三(1575)年には徳川家康が再度攻め取り,大久保忠世が入城している。そしてこの大久保忠世が天正一八(1590)年に小田原城へ移ると,二俣城は廃城となった。
 
■情報

別 名 :蜷原城
所在地 :静岡県浜松市
築城年 :文亀年間(1501〜1503)
関連武将:依田信蕃,徳川信康