福岡城

■福岡城散策

九州北部に位置する福岡城。なかなか上陸できない九州ではあるが、夏の暑い日差しを浴びながら訪れてみた。

地下鉄の駅から、明治通に面したすぐ目の前に立地している福岡城。 「史跡 鴻臚館跡」を含めた土地が福岡城の敷地となるため、思った以上に広大というのが第一印象。

さて福岡城といえば黒田長政がまずはでてくる。何年か前にNHK大河ドラマの主人公にも抜擢された黒田官兵衛の息子である。もしかしたら長政よりも官兵衛の名が有名になっているかもしれない。

それはさておき、想像以上に立派な石垣を目にすることができる。ちなみに現在の福岡城跡に天守は存在していない。よく耳にすることだが福岡城に天守は存在していたのか、といった疑問が頭をよぎる。これらの石垣を目にすれば「存在した」といわれても疑わないだろう。

東御門跡 石垣
東御門跡 石垣

複数の郭を歩み、そそり立つ石垣に見とれていると時間を忘れてしまう。

そうこうしているうちに「本丸」へ到着だ。

「本丸」は石垣を用いて入り組んだ道筋となっており、「大天守」や「中天守」があったとされる地へは、そう易々とは通せないぞと見えない何かに阻まれている。

たどり着いた「本丸」。こちらの「天守台」は他と比較して一段ほど高く縄張りがされており、現在の「本丸」は登りやすい様に階段が敷設されていた。 ちなみに「天守」の石垣には、多くの緑が生い茂っており、未開の地を彷彿とさせる。

さて「天守台」である。ここからの眺望はよい。プロ野球やコンサートが開催される福岡ドームも視野に入る。もしも往事、ここに天守があったとすれば、その眺めは博多湾まで見渡すこができたことだろう。

天守台 天守台からの眺め
天守台 天守台からの眺め

また、石垣の間を通路を通し、天守台を散策することができる。さらに何かしらの建物があったことを思わせる礎石も確認できる。ここにあった建造物はどんな形状をしていたのだろうか。いろいろと頭の中で想像が膨ららませてくれる。

この福岡城跡のみどころは、もちろん「天守台」だけではない。

二の丸から本丸へ、そして天守台へと向かう城内の虎口である「東御門跡」。福岡藩であった当時は、こちらに冠木門が存在していという。こちらの石垣は必見だ。

「門」ということであれば、もうひとつ「表御門跡」がある。こちらも現物の「門」は存在しない。なおこちらの門については大正七年、黒田家の菩提寺となる崇福寺に移築され、山門として利用されているという。もし行く機会があれば城趾関係を考えて見学ができるだろう。

祈念櫓 多聞櫓と南北隅櫓
祈念櫓 多聞櫓と南北隅櫓

現存している建物としては、本丸から鬼門にあたる北東に建てられた「祈念櫓」をみることができる。二層二階の瓦葺きの入母屋造りといった櫓だ。江戸時代に建てられたが、中を拝観することはできないのが残念。ちなみに鬼門封じの祈念を、ということから命名されたとか。

城の南側に位置する「多門櫓」も、おちついた雰囲気がある櫓だ。南北に延びた櫓であり、両端には二階の隅櫓を確認できる。また石垣部には「石落とし」「狭間」といった部位を確認することができる。なお内部は通常は見られない。しかし何らかのイベントがあれば公開されるという。いつか見学することはできるだろうか。

最期に「福岡城むかし探訪館」という施設がある。福岡城の歴史を案内してくれて、さらに休憩施設としても利用できる。暑さを避けるにはもってこいの憩いの場となる。

町中にある福岡城。それにしても近くに福岡空港があるからか、定期的に頭上を横切る旅客機を目撃。様々な航空会社の旅客機を、それも飛んでいる姿が印象深い福岡城散策でした。

 
■福岡城小史
関ヶ原の合戦で功名を得た黒田長政。筑前一国52万3千石の大大名となり、当初は名島城を居城と定めた。そして国作りのため時代にあった城を築いた新しい居城が今日の福岡城である。元々はあまり「福崎」という地名であったが、黒田家にゆかりのある出身地である備前国の「福岡」に改名。福岡城は慶長六年から同一二年までのおよそ7年を費やして築かれた平山城である。
 
■情報

所在地:福岡県福岡市中央区
別名:舞鶴城
主な遺構:石垣、堀、櫓
関連武将:黒田長政



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