足柄城址

■足柄址散策

神奈川県と静岡県の境目である足柄峠は、富士山の絶景がたのしめる公園として誰もが気兼ねなく訪れることができる。

ここはいつの頃からか古東海道とも足柄古道とも呼ばれ、交通の要所として関所も設けられるほど、相模国(現神奈川県)への入国する為に道が存在していた。

ここに峠を見守る、正確には侵略を備えるために砦が築かれ、戦国時代には足柄城として整ったと言われている。

今回は、そんな足柄城を訪れてみた。

静岡県側より急峻な山道(国道78号線)を車で走ることおよそ10分ほど。目的地である足柄城址へ到着。

この城址付近は公園として足柄峠駐車場が備えられている。金時山への登山口ともなっており、利用している人もいくらかはいると思われる。
入り口 晴れていれば富士山が一望できます
足柄城趾への入り口 城趾の碑、晴れていればバックに富士山が見える

さて足柄城。この城は山の尾根に沿ったかたちで築かれた山城です。

まずは本城となる本郭へ。ざっと見た目は整備された公園。当時の詳細な状況をうかがい知ることは出来ないが、城を形成する上で柱石となった場である。

ここにはる玉手池があり、底知らずの池などという噂も存在しているとか。
本郭から二ノ郭を望む 本郭と二ノ郭の間にある堀
本郭から二ノ郭を望む 本郭と二ノ郭の間にある堀

この本郭であるが、城址というよりもここからの絶景を目的に訪れる人が多いという。当日は残念であったが、晴れ渡った日には富士山の絶景が目を楽しませてくれる。

本郭より北西側に向かって二ノ郭、三ノ郭と続いており、さらに四ノ郭そして五ノ郭となり、それぞれは堀切りによって区分けされている。

今はいったん掘りきりに降りて、それぞれの郭へ移動が可能であるが、城が機能していた当時はどうであったのか、気になるところである。 また本郭より東南側へは木製の橋を渡り、山の神郭へと向かうことが可能である。

ちなみにこの橋、国道上を跨ぐ様に架かっており、走行する車からも気がつくはずである。
二ノ郭から本郭を望む
二ノ郭から本郭を望む 山の神郭

そしてこちらの郭は二ノ郭などと異なり、木々に覆われている。このため城跡の子細を確認するのには少々手間取る事でしょう。当たり前だが事前に縄張り図を用意してからがお奨めである。

城跡を見るだけでなく、次回こそは富士山を拝みに来たいとい願望を抱いてしまった足柄城でした。

 
■足柄城小史

天文年間に小田原北条氏により築かれる。天文二四(1555)年、北条氏康により三田郷(神奈川県厚木市)へ城普請の為に人足を命じた記録が残っており、それより以前のものと思われる。永禄後半期から元亀年間にかけて、甲斐武田氏による駿河侵攻に備え、大規模な改修普請が行われた。天正一八(1590)年、豊臣秀吉による小田原征討の際、北条氏忠が城代として守備する。しかし守将である北条氏忠は山中城の落城を受けると小田原城へ退いた。その後、徳川家の井伊直政の軍勢により足柄城は落城。その後は廃城となる。
 
■情報

城の別名:霞城
築城年 :????
所在地 :静岡県小山町と神奈川県南足柄市に跨る
関連武将:北条氏忠



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