荒砥城

■荒砥城散策

信州(長野県)の上山田温泉。この現代の温泉街を見下ろす様にして「千曲市城山史跡公園」があります。ここに16世紀の戦国時代,小さな城がありました。それが平成になり復元されたのが「荒砥城趾」です。

長野自動車道の坂城ICから上山田温泉へ向かい,聖高原方面の険しい坂道を上ってゆくと公園入り口を示す看板が見えてきて,駐車場には10台ほどのスペースが用意されてました。

ちなみにこの荒砥城が築城されたのは戦国時代まっただ中。乱世とも呼ばれている時代。またこの地が武田氏と村上氏,さらには上杉氏と武田氏,真田氏と勢力が入り乱れていたので,千曲川の対岸にある葛山城と共に典型的な戦国期の山城ではないでしょうか。しかし戦乱が収まりつつあった安土桃山時代になると,廃城となったそうです。

現在は史跡公園となっており,城跡には兵舎や櫓,門などが復元されます。

案内所で入園料(\200)を払い史跡公園の中へ。ちなみに案内所の脇は城の「四の郭」となっており,ちょっとした休憩スペースとなってました。桜もあり季節柄,ミニ花見もできそうです。

さて「本郭」を目指して,門をくぐりまずは「三の郭」へと向かうことに。なだらかな坂を登って行く途中には,まだ桜が咲いてました。「三の郭」には特別なにがあるという訳ではありませんけど。「本郭」への中継ポイントといったところです。

その「三の郭」から道沿いに進むと「二の郭」の門があり,「荒砥城」のシンボルになりそうな「櫓」が目に入ってきます。「櫓」はきちんと登れる様に復元されており,そこから千曲川や対岸の葛山城があったと言われている山。遠くは上田,さらには北アルプスも眺められるとか。

また「二の郭」には「兵舎」も復元されており,その室内では荒砥城の発掘で出土した品や,荒砥城のジオラマや,歴史などが紹介されてます。周りは石垣で固められており,また周囲は柵で覆われてます。

実際の城がどんなものだったのかはわかりません。石垣はともかく木でできた柵などは,当時も同様な形で城を囲っていたと思われます。

さらに奥には城の中枢といえる「本郭」となってます。こちらも石垣になっており,門を抜けてゆくと「本郭」到着です。またこの門の上へも登ることができる様になってしました。ここには「兵舎」および「館」が復元されており,それぞれがまだ木の香りを残した建物です。

また展望台も用意されており,「櫓」とは違った景観を愉しませてくれます。

城を復元すると時代考証をめちゃくちゃに,天守閣などを建てたりするところがありますが,ここにはそういったモノがありません。山の中腹に柵で囲った郭。そして最低限の兵舎と櫓。小規模ではありますが,戦国の山城の雰囲気を味わえる公園でした。

 
■荒砥城小史

大永四年の頃に山田氏により荒砥城が築城された。天文二〇年に砥石城にて城主の山田国政が討死すると,荒砥城は武田氏が治める。その後は甲斐の武田氏,越後の上杉氏による城の攻め取り合いが幾度か行われる。天正一〇(1582)年に武田勝頼が天目山にて自害し武田氏が滅亡すると北信濃一帯は越後の上杉氏に治められ,上杉景勝は荒砥城を清野氏,寺尾氏,西条氏,大室氏,保科氏,綱島氏,綿内氏が在番衆に任じられ交代で管理を行っていた。天正一二(1584)年には上杉家の家臣であった屋代秀正が,徳川家康と謀り,荒砥城に立て籠もるが上杉氏に攻められ,あえなく落城。これが荒砥城の最後となり以後は廃城となった。
 
■情報

所在地 :長野県千曲市
築城年 :大永四(1524)年
関連武将:山田国政,屋代秀正