■荒砥城小史
大永四年の頃に山田氏により荒砥城が築城された。天文二〇年に砥石城にて城主の山田国政が討死すると,荒砥城は武田氏が治める。その後は甲斐の武田氏,越後の上杉氏による城の攻め取り合いが幾度か行われる。天正一〇(1582)年に武田勝頼が天目山にて自害し武田氏が滅亡すると北信濃一帯は越後の上杉氏に治められ,上杉景勝は荒砥城を清野氏,寺尾氏,西条氏,大室氏,保科氏,綱島氏,綿内氏が在番衆に任じられ交代で管理を行っていた。天正一二(1584)年には上杉家の家臣であった屋代秀正が,徳川家康と謀り,荒砥城に立て籠もるが上杉氏に攻められ,あえなく落城。これが荒砥城の最後となり以後は廃城となった。
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