■天方城小史
山内氏によって応永年間に築いたのが、はじまりと言われている。その後山内通秀が天方城に移り、天方氏を称したと伝わる。当時の遠江守護は斯波氏であったが、東隣の駿河今川氏からの侵攻により混沌とした状態。斯波氏は信濃小笠原氏と連携して、今川氏と対峙するも力及ばず。遠江は今川氏の支配地となり、天方通興によって現在の地に築いた城が、今に残る天方城となる。永禄三年に今川義元の死によって、遠江は徳川氏と武田氏を加えた三つ巴の攻防が展開される。天方城も戦場となり、元亀三年に武田家によって開城。城主天方通興は徳川方へと身を寄せた。その後も徳川氏と武田氏による奪回が、武田氏が遠江から退くまで繰り広げられたといわれる。