赤堀城址

■赤堀城址散策

ここはいったい、どこなんだろうか。などと考えながらドライブ中に、なんと城跡という文字を発見。

ただ何があるのかよく分からない。車も何処に駐めて良いやら、グルグル回ることおよそ15分。足を踏み入れた先はなんと人様の所有地ではないかと思う畑。

でもここが赤堀城跡であることは間違いないらしい。

周りを土塁で囲まれた姿はまさに土の臭いがする平城である。本郭を中心として三方を囲む様に二ノ郭が築かれていたそうだ。

さらに北側と南側にも郭が配置されており、粕川と鏑木川という二つの川に挟まれた、天然の防御施設を備えた城であることが分かる。

見所はなんといっても意外に思うが高く積まれた土塁。この風景だけを眺めて想像力を働かせることで、当時の城郭が目の前に浮かべられるかもしれない。

何も知らなければ単なる土を固めて、積んだだけに見えてしまいますが、立派な遺構であることは間違いありません。

 
■赤堀城小史

天平年間に赤堀氏が居城として築いたのが始まり。戦国期に入ると赤堀親綱が由良氏の傘下となる。由良氏は越後上杉氏に与しており、赤堀氏も小田原北条氏とは敵対する関係であった。しかし上杉謙信が逝去すると、今度は小田原北条氏の支配下に治まった。その後赤堀城は北条氏の家臣である小菅摂津が城代として入る。天正一〇(1590)年、豊臣秀吉による小田原征伐で赤堀城は陥落し、以後は廃城となった。
 
■情報

築城年 :天平年間
所在地 :群馬県伊勢崎市
関連武将:赤堀親綱、小菅摂津



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