会津若松城

■会津若松城散策

日本最後の全国的な内戦であった戊辰の役において、会津藩は賊軍として薩長土肥をはじめとする官軍との間で壮絶な戦をおこなった。会津戦争として後世に語り継がれているが、その戦争のなかでも白虎隊の悲話が今でもよく知られています。明治維新での出来事が全面に出て語られている会津若松城です。

会津若松城へは会津若松駅から、バスを利用して一五分ほどの距離です。他の史跡なども巡るのであれば、「バス1日乗車券」を購入するのが便利だと思います。入館料が団体料金になります。

さて若松城ですが、当日はまだ雪が残っていて、寒い日でした。雪に覆われたお城や城壁、堀を眺めるのも良いですが、防寒をしっかりとしていかないと辛いです。

バスから降り天守へ向かって歩き進むと、まず目に入ってくるのが、「追手前西堀」です。冬であったから堀の水面には薄氷がはっている様でした。追手門を通り越すと、「北出丸」になります。こちらでで武芸などを嗜んでいたとのことです。北出丸を過ぎ、椿坂を通ると太鼓門に行きつく頃には、天守閣を眺めることが出来ます。 会津若松城天守閣

天守閣は歴史博物館となっています。やはり中心は白虎隊をはじめとした会津戦争。そんな中でも数点だけ、戦国時代に関わりがありそうな、蒲生氏郷などの名前を読むことが出来ます。

はじめこの地に城が築かれた際は、「黒川城」と呼ばれていました。その後「黒川城」から「若松城」へ城の名を改め、そして天守閣をここに築城したのが蒲生氏郷だったそうです。

現在の復元された天守は五層になっていますが、文禄二年に蒲生氏郷が天守を築城した際は、七層の天守が築かれていたとのことです。その後、城主が色々と代わり、賤ヶ岳七本槍の一人でもある加藤嘉明がこの地へ転封後、嗣子の明成が改築の折りに、七層の天守が五層に改まったと言われています。

展示物といえば、戊辰戦争時の物が大半を占めています。さらに付け加えれば白虎隊関連の品が多いです。白虎隊隊士の肖像から、出陣から飯盛山から城が燃えていると錯覚して、自刃するまでの過程を説明したもの。また落城当時の写真なども展示されています。

戦国時代よりも明治維新に興味がある人の方が、楽しめるかもしれません。他にも会津の文化財なども展示してあります。戦国時代の物では、蒲生氏郷や伊達政宗関連の書状など、数点ですが確認できるくらいです。天守閣の最上階はお約束のように、展望台になっております。ここから若松城内および、飯盛山や会津若松の街等を一望することができます。

干飯櫓・南走長屋 天守閣に隣接して平成一三年に復元された、「干飯櫓・南走長屋」があります。訪れた当日は前にも述べましたが、寒い日であり木造の建物、しかも土足厳禁の場所でもあり靴を脱ぐため、足が冷えてしまいます。入り口には自由に着れる様な甲冑も置いてありました。

また城の敷地内には他にも見所がおおいです。広々とした「本丸跡」や千利休の次男、少庵が建てたといわれている「麟閣」、扉や柱が鉄でできている「黒金門」、本丸全体をみることができる「月見櫓」などがあります。「麟閣」ではお茶で休憩することができる様です。

二の丸跡はテニスコートに、三の丸跡も駐車場に現在は変わっています。その二の丸、三の丸へ本丸から向かう際に通るのが「廊下橋」です。この「廊下橋」は敵が押し寄せてきた際に切り落として、敵の侵入を防ぐ様に造られたとのこと。この橋に面している石垣も最大で一九メートルという高さを誇る「高石垣」。

この石垣は横から眺めると扇のようになっているということから、「扇の勾配」や登るのが困難なことから「忍者落とし」とも言われている様です。実際にこの目で見てみると、確かに登ることは不可能と思われる程、ほぼ垂直になっているのがわかると思います。

今回は冬に訪れたのですが、桜の名所でもあるので、次回は暖かい春に再度ゆっくりと、訪れたい所です。
 
■会津若松城小史

会津若松城の歴史は古く、南北朝時代に芦名直盛によって黒川に館が築かれたのが始めと言われている。戦国時代になると、芦名氏の本拠として歴史の表舞台に名を表す。天正一七(1589)年には芦名氏を破った伊達政宗が入城する。しかし翌一八(1590)年に伊達政宗から会津地方を没収し、黒川城は豊臣秀吉による奥州征伐の拠点となる。文禄元(1592)年に蒲生氏郷が入城し名称を鶴ヶ城と改め、翌二(1593)に七層の天守閣を築いた。慶長一六(1611)年の大地震により天守が傾いたと言われている。寛永四(1627)年には伊予から加藤嘉明が入城し、その子である明成の頃、天守を七層から五層へと改築した。その後は保科氏、松平氏の居城となり幕末を迎える。戊辰戦争では籠城するが降伏し、明治三(1870)年に鶴ヶ城は取り壊された。
 
■情報
別 名 :鶴ヶ城、黒川城
所在地 :福島県会津若松市
天守築城年 :文禄二(1593)年(鶴ヶ城)
関連武将:伊達政宗、蒲生氏郷、上杉景勝