■会津若松城小史
会津若松城の歴史は古く、南北朝時代に芦名直盛によって黒川に館が築かれたのが始めと言われている。戦国時代になると、芦名氏の本拠として歴史の表舞台に名を表す。天正一七(1589)年には芦名氏を破った伊達政宗が入城する。しかし翌一八(1590)年に伊達政宗から会津地方を没収し、黒川城は豊臣秀吉による奥州征伐の拠点となる。文禄元(1592)年に蒲生氏郷が入城し名称を鶴ヶ城と改め、翌二(1593)に七層の天守閣を築いた。慶長一六(1611)年の大地震により天守が傾いたと言われている。寛永四(1627)年には伊予から加藤嘉明が入城し、その子である明成の頃、天守を七層から五層へと改築した。その後は保科氏、松平氏の居城となり幕末を迎える。戊辰戦争では籠城するが降伏し、明治三(1870)年に鶴ヶ城は取り壊された。
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