安土城

過去に何度か訪れていたが、久しぶりに「史跡巡り」のところへ載せてみました。

安土城は織田信長が夢を抱いて築城した、壮大な天守閣を持つお城だったことはよく知られております。しかし完成してからわずかな時でもって焼失してしまい、その実像は分からないことだらけでありました。しかし平成元年より始まった発掘調査の結果により、安土城の姿がわずかづつではありますが、目の前にあらわれてきました。

今までは安土駅を降り立つと、そこから歩いて安土山へ向かっていたのですが、今回はレンタルサイクリング(貸し自転車)を利用する事にしました。9月になったというのに季節はずれの暑さの為、歩くのを断念。レンタルサイクリングの利用はもちろん有料でありますが、手作りの資料らしき物をおじさんからもらう事が出来ます。これを手にして、いざ安土城跡へと向かったわけであります。

大手道 安土城跡の大手門辺りにはなにやら発掘調査の真っ最中。大手道手前にある大手門およびその両脇を掘っている様であった。おそらくこれが平成一四年の秋に発掘された横一列の門構え跡でありましょう。大手門の西側に虎口が二つ、そして昨年発見された様に東側にも虎口があり、大手門の両側には計三カ所に門があったという事になる様です。

調査中の大手門付近をサッサと後にして、天守跡を目指す事に。大手道も以前に来た時よりも、綺麗に復元されている様でありましたが、歩幅の合わない登り坂です。途中には「豊臣秀吉邸跡」や「前田利家邸跡」などが大手道の左右にあります。しかしここに秀吉や利家の館があったというのは、推測であって史料として残っている訳ではありません。

またこの大手道の石段には一部に石仏を使用されており、足下を見ながら歩いていると気が付くと思います。よくみると石に顔の様なのが彫られているのが分かります。

まっすぐのびる大手道を登って行くと、やがて左に折れて「七曲り坂」にさしかかります。普段、あまり運動しないで疲れ切った体を休めるのにはもってこいの場所です。また暑さの為か普段はかかない量の汗。この時も途中のコンビニで購入してきたお茶を片手に登っておりました。

「七曲り坂」の少し先にて二通りに道が分かれており、左に進むと「ハ見寺」方面。まっすぐ登ると「天守跡」方面となります。「ハ見寺」方面へ向かうと下ってしまう為、まずは「天守跡」方面を目指す事に。

まだまだ登って行くと織田信行の息子である「織田信澄邸跡」そして「森蘭丸邸跡」という立て札が目に入ってきます。しかここは先ほどあった「秀吉の館」や「利家の館」の跡とは違い、道からそれて木々に覆われたいる一帯を指している様でした。おそらくここも後世の人が勝手に名付けた館跡なんでしょう。誰が住んでいたかはともかくとして、安土城という城のこの辺りに館があったのは事実です。

その先には「黒金門跡」にたどり着きます。今は門などはありませんが、ここから安土城の中核になると思われます。 当時の織田家の家臣達も、石垣で囲まれたこの路地を抜けて、織田信長の座している天守へと向かっていたのでしょう。

「黒金門跡」を後にしてしばらく行くと、「長谷川邸跡」に行き当たります。ここから先へ行くと安土城の二の丸という事になるそうです。二の丸には「信長廟」がありますが、周りは囲まれており、中に入ることは出来ません。外側から眺める事だけが可能です。 二の丸跡

さらにら向かうと、路地には多くの草が生い茂っていましたが、かまわず天守跡の石垣を左手に眺めながら進んで行くことに。その先が「本丸跡」となります。木々に囲まれ、何年か前に来た時は発掘調査の真っ最中。その結果として「清涼殿」なる御殿があったのではという話も出てきております。この「清涼殿」には天皇を迎える為のものであったという説もでるくらいです。ちなみにその奥が「三の丸」になるそうです。

天守跡は石垣でもって一段高い所に成っております。周りを木々で囲まれており、城外を眺めるのはちょっと難し感じですが、木々の間から辛うじて琵琶湖方面を眺められる程度です。また天守跡にはいくつかの「礎石」も見ることが出来ます。この礎石を元にして、天守閣がどの様な形だったのかも想像することが可能だとか。

また先ほどの「本丸跡」には御殿があり、そこから「天守跡」に建っていた天守閣との間には空中廊下、つまり渡り廊下で結ばれていたという話しです。ついでに記すと、本丸にある御殿とは天皇を迎え入れる為の施設であり、信長自身は専ら天守にて寝起きしていたとか。この辺りの詳しい内容は「信長の夢『安土城』発掘(NHK出版)」に書かれておりますので、興味のある方は手にとって読んでみてください。

下山する時は「七曲り坂」付近までは登ってきた道を通りました。それから「大手道」を通らずに「ハ見寺」方面へと向っう事に。林の中にある坂道を下って登ると「ハ見寺跡」にたどり着きます。今は特に何があるという訳ではありませんが、「西の湖」を眺める事ができ、虫さえ飛んでいなければちょっと一休みできる所です。ちなみに「西の湖」辺りは戦国時代当時は琵琶湖でありました。

「ハ見寺跡」のちょっと先には「三重塔」があります。これは重要文化財に指定されている様で一見の価値はあります。そこからなお下って行くとこんどは「仁王門」に行き当たります。裏から門をくぐった事になるので、正面から行きたい時は、大手道からでは無く、こちらから登る事をお勧めします。

こちら側の入り口には「安土城趾」の石碑が左側にたててあります。道は「ハ見寺跡」付近まで石段に成っており、勾配もちょっと厳しいです。

安土城趾はまだ発掘調査の真っ最中。まだ新しい事実がこれから出現してくるかもしれません。それを期待しながら、また来年あたりに足を運んでみる事にしたいです。


所在地
滋賀県安土町

アクセス
鉄道:JR東海道本線安土駅徒歩30分