オルガンティノ 1530(享禄三)年〜1609(慶長一四)年
経歴
イタリア人。1565(永禄八)年にイエズス会に入会。翌々年にはインドへ渡り1570(元亀元)年に来日する。はじめは近畿地方にて、ルイス・フロイスの元で活動を行うが、フロイスが九州へ移ると。その後継の地位に就く。織田信長からの信頼もあり、安土城下にセミナリヨを建設し初代校長となる。また布教だけでなく、荒木村重が織田信長に対して反旗を挙げた際には、織田方の使者となりキリシタンの信仰者であった高山右近の説得に成功している。その布教活動に心身を注ぎ、人々からはウルガンバテレン様という呼び名で親しまれていた。



フロイス 1532(天文元)年〜1597(慶長二)年
経歴
ポルトガルのリスボン生まれ。1548(天文一七)年にイエズス会に入信し、布教のためインドのゴアへ派遣される。その地でもってフランシスコ・ザビエルに出会う。そこで日本の話を聞き、1563(永禄六)年に日本へ上陸する。上洛して当時の将軍であった足利義輝に拝謁。その直後に将軍義輝が暗殺され、混乱する京から待避していた。織田信長の上洛後に再び上洛して、信長に謁見する。その会見でもってキリストの布教を許される。織田信長からの信頼を得られたフロイスはその後、岐阜城へも足を運び、そこで信長自身が膳を運ぶというもてなしぶりであった。京に念願の南蛮時を建立すると、布教は後任のオルガンティノに託し、自らは九州の豊後にうつる。そこで後世までのこる「大日本史」を編纂する。1597(慶長二年)、キリスト教弾圧が強まる最中、長崎の地にてその生涯を閉じた。



ロレンソ 大永六(1526)年〜文禄元(1592)年
経歴
肥前の生まれ。名前は不明である。はじめは琵琶法師であったと言われている。天文二〇(1551)年に周防の山口において、フランシスコ・ザビエルに師事し洗礼をうける。それ以後はザビエルに随行する様になった。ザビエル帰国後も訪日していた宣教師に従い、主に通訳として布教活動を手伝う。そして永禄六(1563)年には日本人では初めての修道士となった。永禄一二(1569)年にルイス・フロイスが織田信長に謁見した際には、その通訳として安土城へ赴く。さらにフロイスが仏僧の朝山日乗との論争を行った際にも、その通訳となりそして勝利した。晩年は肥前へ隠退し文禄元(1592)年に没した。