川辺川 2000.3.17〜3.20

1.いざ行かん!川辺川

日本3大急流に数えられる熊本県球磨川。その最大の支流で、子守歌の里として名高い五木村より南流し、人吉で球磨川と一つになる清流川辺川。

ダム問題で揺れるこの川、全国的にも超有名と思いきや、熊本県出身の2名の知人は、そろって「知らない」という。不思議でしょうがない。

さて、ツーリングであるが、寝台特急、特急、急行と乗り継ぎ人吉に向かう。熊本発の急行は、八代を過ぎると、球磨川沿いを快調に進む。列車から眺める球磨川の流れは、残念なことに終始濁っており、少々興ざめする。

人吉で海野と合流。海野は、鹿児島の知人から車を借りてきていた。バスでの移動を考えていた私と桂君の2人にとっては、まさに救いの神。これから先は強気で行こう。カヌー3艇にキャンプ用品を、車の中に何とか押し込んで、食料を調達に一路スーパーへ。お酒もたっぷり買い込んでから、五木村の中心頭地を目指した。

 人吉駅前のからくり時計

車は市街地を離れ、川辺川沿いに国道を北上する。川辺川の水は透明だ。もう少し上流に行けば、もっともっときれいになるに違いない。胸弾ませた3人を乗せた車は、ひたすら上流を目指す。

暫くすると、助手席で5万分の1を広げていた桂くんが、「こんなトンネルあらへんで」と、慌てている。どうやら、ダム建設のため、付け替えられた新しい道路のようだ。新しく立派な道路は、谷底から遙か離れたところに刻まれている。ダムの巨大さが見て取れる。いったい何処にダムが建設せれるのだろう。

と思う間もなく、ダム建設予定地を示す看板が現れ、すぐに長いトンネルに入る。トンネルを出ると、視界が開け、遙か下の谷底に、船を思わせる形に積み上げられた、黒っぽい砂利が、目に留まる。一体どうして、こんな場所に砂利の山があるだろうか。一同絶句。

この少し先に建てられた、ダム工事事務所の横に設けられた急な道を下り、河原で昼食をとる。日当たりの良い河原で、農作業を中断してた壮年夫婦が弁当を食べている。吹き抜ける風がやや強く、寒さも感じるが、風が止むとぽかぽかと気持ちよい。目の前は、エメラルド色でよく澄んだ淵が広がる。流れはほとんどない。

 

 

2.五木 やませみ 子守歌

休憩後、再び車で移動し、五木村の中心である頭地へ。想像していた以上に険しい場所だ。北側の斜面がブルトーザーで削り取られている。水没する家屋の代替え地を造成しているところだ。

北西から注ぐ支流、五木小川沿いに、頭地資料室「やませみ」がある。比較的新しい建物だが、当然ここも沈んでしまう。館内に入る。入場無料。

入り口の受付兼事務所に、比較的若い職員が一人いるだけ。展示室に人影はない。私は、子守歌コーナーのリクライニングチェアーに腰を下ろし、正調五木の子守歌に聴き入る。これまで聞き親しんできた五木の子守歌とは、全く違う節回しに驚かされる。男性伝承者の艶のある声が心に響く。この歌を聴いて本当に子供が寝付くのかな、とも思ったが、男性が2人続いたあと、登場した女性伝承者、おばあちゃんの歌う子守歌には、また独特の味わいがあり、本当にうとうととしてしまった。恐るべし、子守歌の力。

 子守歌を聴きながら

 

3.謎のトンネルに迫る

我々は再びダム建設予定地に戻り、工事の進捗具合をじっくり視察。谷間の旧道を進み、先ほどの、舟形に積まれた砂利の山の麓に立つ。目の前、川の向こう側に、ぽっかりと丸い口を開く、トンネルが目に入る。ここに積まれた砂利は、トンネル工事により掘り出されたもののようだ。

このトンネルは、一体何のために掘られたのだろうか。発電用の取水口だろうか、それとも農業用水を取り入れるのだろうか。いろいろ想像するが、よく解らない。

谷をのぼり国道に出て、ダム建設予定地を示す看板のある場所に降り立つ。ここには展望所が設けられており、ダムが立ちはだかるであろう場所を、正面から眺めることが出来る。そこに置かれた地図に、先ほどのトンネルも記させている。驚いたことに、我々が今立っているちょうど真下に、吐口というトンネルの出口がある。ということは、そう、ダム建設工事中、上流から流れてきた水を流すためのトンネルだったのだ。川辺川ダム本体工事の着工は、まさに待った無しの状態だ。


取水口


吐口

 

当初は、頭地からカヌーで下ろうと思っていたが、ここまでは水量もなく、とてもカヌーが出来るような状態ではない。今日のカヌーは完全にあきらめ、今夜のキャンプ地を探すことに。明日川下りを始められる場所、大正橋のたもとが最適かつ唯一の場所だ。

明日こそはカヌーに乗るぞ。3人で強い決意を確認しあうも、天気予報では、明日の午前中は雨。運を天に任せるとはこのことだ。

 

4.雨のため連泊

天気予報とは、肝心なときには当たってしまうもので、翌朝、明け方の5時過ぎから雨が降り出した。ラジオをつけると、夕方まで雨が続くという。

橋の下とテントを、行ったり来たりしながら、持参した「国が川を壊す理由」(福岡賢正、葦書房)を読む。川辺川ダムの洪水調整機能は、万全なものではないといった内容が、数々のデータと共に記されている。昨日見た、資料室「やませみ」に展示された、数多くの洪水の写真が頭をよぎる。

雨は一向に上がらない。既に午後1時。ここで一同決断、人吉に出て温泉に浸かることにした。これで今日も川下りは出来ない。明日は1時半の列車で、人吉を発たねばならない。カヌーをする時間がない。やりきれない思いを少しでも埋め合わせるべく、明朝6時半、日の出と共に川下りを開始すると誓い、車に乗り込んだ。

汗を流し、食料品とお酒を購入し、田代橋のたもとに戻って来たときに、既に雨は上がっていた。明朝に備え、カヌーを組み立てる。出来上がると、やっぱり抑えられず、コックピットに飛び乗り、私一人、大正橋上流の澱みに漕ぎだした。

残念なことに、清流川辺川も、この辺りでは人々の生活の匂いがしっかり染み着き、お世辞にもきれいとは言えない。上流に向けて進む。右岸の茂みの中で、ごそごそと何かがうごめいている。静止して音を立てず、茂みを注意深く見入る。猿だ。小猿だろうか。数匹が、吹いたばかりの木の芽を食べているようだ。

 

5.待ちに待ったカヌーツーリング

3日目の朝、予定通り5時に起床。まだまだ暗い。5時半、明るくなると桂くんが起きて来た。テントを撤収し、片づけ開始。海野は、一度は姿を現したものの、再びテントに潜り込んで出てこない。出発予定時刻の6時半にやっと起きてき、予定より1時間遅れ、7時半のスタートとなった。

漕ぎ出すやいなや、岩につっかえてカヌーを抜け出しライニング。まだ冷たい早春の水に、たっぷり浸かるのは少々こたえます。川底がつるつる滑り、歩くのも容易ではない。

何度かライニングした後、六藤の発電所を過ぎる。長い距離をパイプの中で過ごした水が川に戻され、水量も十分になる。もう底をこする心配はいらない。快適にパドリングできる。直後から、ダイナミックな瀬が連続して現れ、ざぶんざぶんと、水を浴びながら乗り越えてゆく。気持ちが一気に高揚してきた。

しかし、楽しい時間はそれ程続かず、間もなく大きな堰が現れた。左岸の国道脇からカヌーを下ろそうと思い、岸に漕ぎ寄せる。だがそこには、釣りをしているおじさんの姿があり、ちょうどカヌーを下ろそうと考えていたその場所に竿を出している。竿をあげたときに通らせてもらおうと、しばらく釣りの様子に見入っていた。

不意に竿が大きくしなり、重量感のある魚が引き抜かれた。お腹を真っ赤に染めた20p近いウグイあだ。驚いたことに、同じサイズが2匹かかっている。私は、興奮に顔を赤く染めるこのおじさんに、「やりましたね。2匹ですね!」というのが精一杯。今釣れたその場所に、カヌーを下ろさせてくれとは、とても言い出せず、堰の右岸目指して漕ぎ出した。

堰を越え、再び乗り込んだ直後に、段差の大きい落ち込みが現れた。先がよく見えないし、大きな石が比較的多いので、無理をせずライニング。速い流れにカヌーが流されないよう押さえながら、下半身を水につけ進む。流れに沿って右に進路を変えた瞬間、大きな落ち込みが姿を現した。

落差が1メートル程度あり、流れがここに集中し、激しく泡立っている。その下には大岩が立ちふさがり、しぶきを散らして、流れを左右に2分する。もし、ここへカヌーに乗ったまま突っ込んでいたら、命すらどうなっていたか解らない。背筋が凍る思いだった。

ここは慎重にルートを選び、3段階ポテージでやっと脱出。30分以上を要した。短パンの私はすねにたくさんの傷を負い、桂君は胸まで水に浸かってしまった。精も紺も付き、直下の観音橋で今回のツーリングは終了。時刻は10時10分。

大正橋の辺りでは、悪化してしいた水質も、ここではかなり回復し、底を泳ぐ無数の魚が見える。

日本一の清流川辺川、本当にきれいだったのだろう。清流は今、清流でなくなろうとしている。これで良いはずがない!

 

川辺川

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