エッセイ・・・・・このレシピにまつわるドーナッツの思い出
「ホットケーキの素でドーナッツができるの?教えて!」
電話の向うで彼女の声がはずみました。
「マフィンもバウンドケーキもできるわ。小麦粉で作るより簡単よ」
私はレシピを彼女にFAXで送りました。
彼女には8才の息子さんが一人いました。
ドーナッツが大好きなのです。
「あの子は、たくさんドーナッツをつくってもらったのかな」
数日後、そう思って電話すると、彼女の声は沈んでいました。
「来週から息子が入院するの。
それまではどこへいってもいいと 言われたから、
ちょっと田舎の実家につれていってくる」
「・・そう。いってらっしゃいね」
「覚悟は出来てるんだけどね。ついに来たっていう感じ。」
そんな会話を交わしたのは1年前の夏でした。
私はこの8月にたくさんのドーナッツとバウンドケーキをもって
彼女の家をおとずれました
やんちゃな息子さんの声はなく、
持ち主を失った学習机とランドセルがそのままになっていました。
4才から病気を指摘されていた息子さんは
5年の闘病生活の後に亡くなりました。
二人きりになって、彼女ははじめてこんな話をしてくれました。
「いよいよだめだとわかったとき、
もう見ているのがつらくなってね、
息子を抱いて高層マンションの階段の踊り場に立っていたの。
夫ももういないし、苦しむ息子をこのまま看取るだけかと思ったら、
もういいやって思って。
仕事もいちおう整理してあったし、
ふたりで逝こうって、ふっと思ってね…」
息子さんは、「死ぬの?どうして?」といったのだそうです。
そして泣いたのだとか。こわかったのでしょうか。
「そうじゃないのよ。こう言ったの。
『僕はママが作った人間だからママが死んだらって思うんなら
それでもいいと思うよ。
でも、ママはだめだよ。
看護婦さんなんでしょ。
誰かがママのおかげで元気になれるんだから、
だから死んだらもったいないから』 って。
『誰かを元気にしてあげなくちゃ。
僕、病院の看護婦さん、みんな好きだから、
ママのことも好きな人がいると思うんだ。だからずっと生きてて』って
・・そういうのよ」
彼女はそのあと、最後まで息子さんと戦いました。
息子さんは、今年の春、大きな呼吸をひとつして、逝きました。
「入院前に二人で
ドーナッツとバウンドケーキを作ったのが、いい思い出かな」
「…・ごめん。じゃあ、こんなものを持ってきちゃったら、辛かったわよね」
「いいのいいの。一緒に食べよう。
あの子『上出来じゃない!』って喜んでた。
もっと早くレシピをきいとけばよかったって思った。
おやつなんて手作りしようって思ったことがなかったから」
彼女は笑いました。
そして、しっかりした声で言いました。
「来月から郷里に帰るけど、
『看護婦さんなんでしょ』っていわれたんだし、
やっぱり他の仕事はできないわ。
この仕事があってほんとによかった」
・・・・・・・・・・・2000年2月発売予定・日本看護協会出版会
ナースのための料理エッセイ&レシピBOOK(仮題)/武田三花著・・・より
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