We had the following sentences from Monsieur Miyata, Tetsuya.
宮田 徹也 氏 より 以下の文章を いただきました。まま原文、転載させていただきます。
2004/07/31
2004年6月28日から7月3日まで、銀座青樺画廊において「6月の雨と森」というグループ展が開催された。そこに出品した伊藤 洋子の作品について言及する。
それほど広くない画廊に24人出品しているだけあって、各作家の作品は、各一点だった。伊藤 の作品は入り口を入って左奥にあった。
表題は「水無月」である。サイズはDMによる伊藤 の言葉に「こどもたちがかくれんぼできるほどの大きさです」とある。実際には80号位であろうか。もっと巨大な作品を想像した。しかもキャンバスに張られているのではなく、一枚の布が宙から漂っているような作品をイメージしていた。しかし絵の中に入っていくと、確かに子供達がかくれんぼできることが分かる。絵の中には隠れるところが沢山ある。
この画面には、紫陽花/人体のつがい/人体/子供/断片/大きな指/龍/液体/水玉/骸骨が、描かれている。紫陽花が描かれているから、水無月=6月をイメージすることができる。画面を均等に4分割すると、中央に人体/右上に子供/右下は龍と紫陽花と骸骨/左下は性交するつがいと紫陽花/左上は人間の断片が配置されていることがわかる。
描かれているどの人体にも服はない。中央の女性には特にワンピースを消した跡が残っている。または人の色を持っていない。子供だけに肌色の彩色がある。そして指がない。龍には指が残っていた。玉を握っている。吐いているの/飲んでいる口元には、くすんだ色が漂い、その色は徐々に淡い色に変色しながら画面全体の地の部分に繋がってゆく/繋がってくる。画面上部中央と左端に茶色が見える。これは何か。画面の何の境界線なのだろうか。画面に何重かのレイヤーがかけられているのであろうか。それとも現実と夢の境目か。imageとimageの裂け目なのか。ここにかくれんぼをすることが可能なのだろうか。中央の女性は血に塗れているのではあるのだが、決して悲惨な状況を思い起こすことは出来ない。それは断片化された人体にも言えることで、ここでは便宜上、「断片」ということばを使っているが、そのimageは人体からの「切り取り」でも「覗き穴からの視線」でもない。つまり、人体がimage化されているのだ。
画面に散らばっているのは、蝶/花のimageである。骸骨が転がっている。そこに含まれる微笑ではなく歯が、人体というimage感を強める。よく見つめると、中央左にサインも見える。
伊藤 の色彩の方法を草間弥生/アウトサイダー・アート/子供の絵(岡本太郎)と対比することは容易く安易だ。草間のカタログをぱらぱらめくると、そこには自己の人体にも背景にも水玉を描き、世界と自己の対立の認識が出来ていない様をよく表している。それはアウトサイダー・アートにも子供の絵にも言えることだ。伊藤 の作品は、人体のつがい/人体/子供に対する彩色の方法を見て分かるように、自己と他者の区別が付いている。それは画面が一見分裂しているようで奇妙な統一を保ち得ることの出来る理由のひとつでもある。
現代において、どのようなimageを持つことが出来て、そのimageを何処まで率直に描き切ることが出来るのかは重大な問題となる。余りにも情報が満ち溢れているからだ。振り返ってみると、明治以降、「美術」が輸入されてから、常に「新しい表現」というものを脅迫的に追い求めてきているのがこの国の状況である。その意識は現代においても有効である。この愚行に伊藤 は関係を持たない。情報にも振り回されていない。伊藤 の仕事は、ヨーロッパにおける具象が崩壊した際にマチスが取った方法に近い。マチスの一連の切り絵、主に「jazz」に対する思想と作品を対比させることは可能であろう。
また、imageに対する追求を考えると、丸木俊の油絵、「祖父母と孫」を思い起こすこともできる。水墨画が主体と思われている丸木の仕事の中で、油絵はそのimage生成の現場として、特異な位置を占めていると解釈することが出来る。丸木は常に被害者としての像を背負わされて語られてしまうが、丸木の持つimageの現前の研究が必要だ。
このような方法において、伊藤 の作品に対する考察を施していくのが、私の今後の課題となるのであろう。
日本近代美術思想史 宮田徹也
Yoko's solo exhibition |
---|
伊藤 洋子 個展 |
Yoko's drawing |
---|
伊藤 洋子の絵 |
Top | events | profile | Yoko | hinden Hideki |
---|---|---|---|---|
Ma_ho_Ma_ho_Family まほまほファミリー |
今後の活動 今までの活動 |
われわれは 何者か |
伊藤 洋子 詩人 |
ひんでん 高橋 秀樹 作曲家 : 幸せを売る男 |
navi » サイト内ナビ