by Monsieur Miyata, Tetsuya.
当 page に 記載されている論評はすべて、日本近代美術思想史研究・宮田 徹也 氏 によるものです。
(太字・色字による強調は、オリジナルではなく、web編集者によるものです。)
以下の書籍のために書かれた文章を、本人の許諾の元、[まほまほファミリー] による舞台・企画に関する記事を抜きました。
[ダンスワーク] 56 2005 年 春号 [2004年ダンスの総括]目次
まほまほファミリー個展 [わりあて] での [ミュージサーカス]
高橋 秀樹 抜き まほまほファミリー [Performance] (伊藤 洋子の実質ソロ)
高橋 秀樹 [performance 仏法僧 Hideki による ポエトリー的 辻説法]
(オマケ) [PERSPECTIVE EMOTION 7]
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引用 ココカラ。
2004年のダンス批評
(前略)
五、二〇〇四年度心=体活動総括
総ての敬称を省略した。●二月一日(日)
「ミュージサーカス」
まほまほファミリー個展「わりあて」(1月30日~2月3日)におけるスペシャルイヴェント出演 :
梶塚千春場所 :
J-trip gallery (渋谷) 詩人で画家である伊藤 洋子、音楽家であり総ての芸術に精通する高橋 秀樹、二人の子供のまほちゃん、ともみちちゃんという、今のところ四人による芸術集団である。一つ付け加えておくと、会場のj-trip garellyとは、
渋谷と代官山の間に位置する、二〇〇一年一月にオープンした、新しいタイの画期的な画廊である。引用 ココマデ。
高橋 秀樹 抜き まほまほファミリー [Performance] (伊藤 洋子の実質ソロ)
引用 ココカラ。
●五月二二日(土)
まほまほファミリー「Performance」
Exhibition [Digital Art Prints Extra] 展 (5月21日~6月1日) の スペシャルイヴェント出演 :
伊藤 洋子場所 :
渋谷・j-trip garelly[Digital Art Prints Extra] 展 主催者の森下 泰輔から、まほまほファミリーに出演の依頼があった。
この時、高橋 秀樹はイタリア公演中で参加できなかったので、実質、伊藤 のソロとも言える。
しかし、
まほ、ともみちの心=体的存在感は強く、私は出演者として認識した
。
伊藤 は、二〇〇一年九月一二日に法政大学学生会館で行ったイヴェント、「男と女」のビデオを、j-trip garellyの巨大スクリーンに音声なしで投影して、詩の朗読を三〇分行った。
残酷で愛情が満ち溢れる自作の詩を、伊藤 は普通に朗読する。
ヨーロッパ・ダダ的にわざと単語を区切って読んだり、奇声をあげたり、躍り出すということは一切無い。
淡々と朗読しながらも、そこに内在する心=体性は、強烈な眼に見えない暴力性となって、見る側に襲いかかってくる。
伊藤 は、歩いたり、座ったり、寝転んだり、まほ、ともみちを制止したりしながら、朗読を進めるという、柔らかい心=体性を見せているからこそ、そこに顕れるギャップが、見る側の想像力に、思い切り火を焚きつける。
バックの映像に流れるまほは、本当に小さい。
それがまだ小さいけれども、大きくなってきている。
だっこではなく、歩いている。
この時間差が表れている空間性も、とても面白かった。
「暴力的に襲い掛かる」と私は書いたが、そこに危険性や恐怖があるのではなく、暴力と優しさの紙一重の感情を持つ、伊藤 ではなく、伊藤 を含めた、「人間」の生き様というものとは何かという問いを、強制なく突きつけられた快楽が、ここにはあった。
引用 ココマデ。
高橋 秀樹「performance 仏法僧 Hidekiによるポエトリー的 辻説法」
引用 ココカラ。
●八月九日(月)
高橋 秀樹「performance 仏法僧 Hidekiによるポエトリー的 辻説法」
j-Trip Art Gallery クラブイベント (8月5日~9日) におけるスペシャルイヴェント展示 :
村田修一会場 :
DISCOTECA Rosa Fiesta (六本木のディスコ)この日は、まほまほファミリー、高橋 秀樹のソロであった。
HPにその詳細が記されている
( https://www2u.biglobe.ne.jp/~hinden/map/j_trip/20040809_rosa_fiesta.htm )。
ここから、引用する。
「他にもいろいろやっていたと思うが、はっきり覚えているのは以下の二点。
一.伊藤 洋子の詩 [泰山木の花] を朗読。
床に這いつくばり、転げ回り、しながら。
朗読と同時にnoise演奏、violinの弓、使用。
楽器ではなく、そこらへんにあった何かの空き箱を擦って演奏。
二.[修證義 (シュショウギ) ] 道元開祖 [曹洞宗] の経典。
(略)Hideki は [語りモノ] として独自に考案」。
伊藤 の「泰山木の花」は名作中の名作
で、視覚的に読むことでもその本質が掴めるのだが、声を出して朗読することによって、更に作品の中に入り込むことができる。
それを高橋 は、今回のパフォーマンスで実践した。
伊藤 自身の朗読を耳にしたことはあったが、他の人におけるそれは初めてだった。
頭を剃った=坊主の高橋 は、クラブ内の半径型ステージにヴァイオリンの弓のみを手に携えて登場、伊藤 の朗読とは全く異なり、そこら辺の物をその弓で擦りながら、詩を「絶叫」する。
その声は、今でも耳に残っている。
弓の使用に制限は無く、高橋 はあらゆる体位を採って、擦り捲る。
そして、体中を痙攣させる。
叫び/ノイズ/動きが一体となり、ここに現れた心=体は、如何なる「ダンス」と呼ばれているものも敵わないのでないかというくらい、体と心が一体化していた。
修證義を朗読する際にも、それは同様であった。
御経と言う辛気臭いテクストを、高橋 はその発音によって、見事に一つの作品として蘇らせた。
一見、高橋 はふざけている様にも見えるのだが、高橋 が持つコンセプトは、芸術の本体を見据えている。
高橋 は、この御経の意味にも通じているのだ。
高橋 は、「狂気」と「狂喜」の違いを知っている。
それは、「芸術崇拝」と「芸術自体」の違いを明確に示すことと、比例する。
日本文化論を説く者は、このような高橋 の心=体から芸術の本体を抽出していただきたい限りである。
引用 ココマデ。
(オマケ) [PERSPECTIVE EMOTION 07]
注。
[まほまほファミリー] は 出演していません (#02 になら 伊藤 洋子 が 単独で出たけど)。
文章中に [まほまほファミリー] が 引き合いに出されているので、この項も 参考資料として このページに抜きました。
引用 ココカラ。
●十二月二九日 (水)~十二月三〇日 (木)
『第七回透視的情動 PERSPECTIVE EMOTION 7』
出演者リスト
* ----- ()内数字は出演日。なしは両日。 SOUND :千野 秀一会場 :
西荻窪・西荻 WENZ スタジオPERSPECTIVE EMOTION 実行委員会 (向井 千惠・石川 雷太・サエグサ ユキオ・万城目 純) による企画であり、今年が七回目を数えるという。
主宰の意図は、ここでしか集められない多/他ジャンルの有名・無名の面々が某基金や某企業メセナのバックアップなしに、資本主義には一向に寄与しない形で、この冒険的、実験的な試みを継続しているところにある。
二日間に亘り、総勢三十三人の見せる側が参加した。
両日共に二部構成になっていって、第一部は 「シャッフル」と題され、各出演時間枠の直前にネームカードを引くことにより、その枠内の見せる側と、二人から四人の人数を決める。
第二部は、第一部参加者による、任意の集団即興である。
私が見たのは、三〇日の第二部のみであった。
全員が一度に入場して、そのまま最後まで公演するのではなく、少しずつの人数で入場し、途中で退場し、再び戻る者もそのまま出てこない者もいた。
全体の感想を記すと、どうしても見せる側それぞれがそれぞれに対して、遠慮なり敬意なりを払ってしまい、私としては、それぞれの対話/対立を期待していたのではあったのだが、その点に関しては、もう一つの面白みが欠けた。
ミュージシャン達も同様で、それぞれの心=体活動としての演奏にまでは、到らなかったのではないだろうか。
まほまほファミリーの「ミュージサーカス」にあるような、混沌の中に生まれる秩序
が見受けられなかった。
主催者としては、個々に制約を設けるのではなく、自由に動いて欲しかったのであろう。
それは、スコアがあるかないかといった問題も含まれる。
しかし、スコアがあれば総て上手くいくわけでも決してない。
この間題は、ジョン・ケージとマース・カニングハムとの対比を例としても、今後考察していかなければならないだろう。
私にとって、今回の集団即興は注意を引かなかっただけで、他の人にとっては面白かったのかも知れないし、今後もこの形式のまま続けたとしたら、それはそれでその時に新たな出会いとか発見とかが生まれる可能性も残しているのだと思う。
ここに完全即興の難しさがあるのだろうが、だからこそ優劣をつけるのではなく、見せる側の真剣さに対して、見る側も丁寧に、真剣に、常に足を運んで確かめなければならないと思う。
私が特に個として注目したのは、別所と万城目だった。
別所は、序盤過ぎに登場した。
登場するなり、早速プロジェクターの光を指によって操るという行為は、別所がカオスモスマシンに触れたり、自らが写真家として行動していたりするという、「光」 に対しての接触の多さ、それに伴う敏感さがそうさせるのであろう。
別所は大きなステップを踏み、会場内を所狭しと駆け巡る。
その傍らで、万城目は、日本の何処かの地方の土着的な「踊り」のような、ケサ踊りのように、手を体の前でおもいっきり一度だけ振りかざした。
そして、別所を抱えて二人は退場してしまった。
その後、二人が登場することは無かった。
この原稿は、そのほとんどは見せる側の方々から御教示を戴き、そこで発生したやりとり、「対話」の中から生まれた。だから総ては、私一人の力では書き切れなかっただろう。この場を借りて、御礼申し上げます。ありがとうございました。
引用 ココマデ。
(太字・色字による強調は、オリジナルではなく、web編集者によるものです。)
(オリジナルの縦書きを横書きにしたことに伴い、漢数字を算用数字に変更するなど いたしました。)
(web に 向くように、句点ごとに改行を入れるなど いたしました。改段落に当たる箇所に行空けを入れるなど いたしました。)
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