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Hideki as of High-school Age
農業愛好会 もしくは 高校時代

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農業愛好会 もしくは 高校時代


高校時代のエピソードは、高橋 秀樹の活動のひとつの原点として語られねばなるまい。

部活動としては 器械体操 をしていたが、それより重要なのは、
無認可で勝手に自分たちで
[農業愛好会]
を始めたことである。

校庭の一角を勝手に耕して 畑 に したりしていた。

これは
レジスタンス活動の一環
という側面で とらえられるのも 可能であろうが、これが意外にも、

[近年、『勤労体験学習』 が叫ばれているなか、このような活動を自主的にやっている]云々
ということで、

かえって 体制側からも 感心されてしまった
のだから面白い。

実際の農作の他に、
農業に関するドキュメンタリ映画 (8 mm film)
を製作したりもした。

農業をネタにした一種の [performance] も したし、
もはや農業と関わりがあるやらないやら、余計なコトもいっぱいした。

まだ [performance] というコトバもないような時代だったが、
振り返ってみると、
あれは [performance] だったんだなぁ、
と思う。


前史


高校1年の時。クラスは A組 から H組 まで あったが、高橋 秀樹 が いた H組 には、妙な人間が集中していた。

のちの 農業愛好会 会長 となる男(以下、会長と呼ぶ)も このクラスにいたし、

副会長 となる男(以下、副会長と呼ぶ)も いた。

名誉会長 となる 高橋 秀樹 も いたし、会計 となる男もいた。

[のちの会長] は、中学の時には勉強が学校一、できた。ところが、絵を描くことにハマり、高校では みるみる順位を落としていた。

もったいないと担任が [のちの会長] を呼び出し、おまえ絵もいいけどちょっとは勉強もせんと受験の時に、という話をしかけたら、

大学に行くつもりはない、と即座に返答し、担任を驚かせた。普通の大学はもとより、美大という考えもなかったようだ。

部活は当然のように 美術部。それと、[農業愛好会]。

[お前 部活は? ‥‥そうかあ。農業愛好会かあ。あそこは変人の集まりだからなぁ。やっぱり惹きつけ合うところがあるのかなあ]
担任は言ったものだ。

そう、自分たちで勝手に始めた、と前述したが、前身があったといえばあったのである。

[のちの会長] や高橋 秀樹ら が 1年のときの、3年生3人組である。

ただしその 3年生3人組と 直接的に つながりがあるのは、[第1期] の [農業愛好会] に入っていた [のちの会長] のみであった。

(つまり、3年生3人組のほかには、部員は [のちの会長] しかいなかった。)

3年生3人組も やがて卒業。体育館での予餞会(よせんかい/卒業生を送る会)の時、彼らはステージに飛び入りした。

舟木一夫 [高校三年生] の替え歌を歌った。

[あああああ、高校三年生] を [あああああ、農業愛好会] と歌い、[クラス仲間は いつまでも] を [クラブ仲間は いつまでも] と演る、

大変キレイなパフォーマンスであった。(それ以前にも、折に触れ、彼らのこのような飛び入りパフォーマンスは見かけていたものである。)

最後に、[僕たちは普通の男の子に戻ります。] と全校生徒の前で宣言し、壇上から降りた。

これは、当時のアイドル3人組 [キャンディーズ] の [普通の女の子に戻りたい] という解散宣言のパロディであった。

進級にあたり、[のちの会長] は クラスメイトに言った。[農業愛好会がなくなってしまって残念だ。]

[どうしてあんたがいるのになくしちゃったの?] 聞いたら、かれは [で ないと 『普通の男の子に戻ります』 て ギャグが使えないからじゃないか] と応えた。

小一時間後。

[高橋 秀樹様。農業愛好会を一緒におやりになりませんか。] 声をかけてきたのは、[のちの副会長] である。

い いつの間に‥‥。彼は早くも復活を期し、皆に声をかけていた。

ちなみに [のちの副会長]、彼は大変に言葉遣いが丁寧なのが特徴であり、礼儀正しい振る舞いをするのが [趣味] といったカンジであった。

古い洋館の執事かなにかを思わせる。アナウンサー風でもあり、そういえば久米 宏に似てなくもない。

ちなみに高橋 秀樹も [オレ] という一人称は使わず、[オマエ] という二人称は使わない、丁寧な部類の人間で、

[もと副会長] とは互いに [ですます] 調、いやいや、意図的に敬語を駆使した会話で盛り上がる。ヘタすると時代劇調にもなる。

そんなこんなで [農業愛好会] が 始まった。


[農業愛好会] の始まり


さて、学校側の対応である。

学校側としては、無認可の部活動が存在していてはならない。

しかし現実には存在する。が、部として認めるにはいろいろな条件に満たない。

また、[部] というのとも、なんか少し違うような。

便宜上、美化委員会の下部組織として位置付けられた。

学校側として、苦肉の策の対応であった。

しかし ここから [副会長] や 高橋 秀樹 の 陰謀が張り巡らされた。

(このとき、高橋 秀樹らは2年生になっていた。)

美化委員は、各クラスから1名ずつ選出される。

直ちに、各クラスに散らばる [農業愛好会] 会員に伝令が飛ぶ。

美化委員は [農業愛好会] の会員で占められることとなった。

しかも。

美化委員長は [会長] である。

ほほほ。管理するための仕組みが、逆に される側に ある種 [権力] を与えてしまうとは、

冗談のような構図やね。


生徒会の実効支配 ?


[農業愛好会] の勢いは止まらない。

生徒会の役員も [農業愛好会] で占められる。

既に美化委員長が [会長] なのは、先に申した通り。

会計監査長は [副会長] が なった。

[農業愛好会に入りませんか]

[副会長] は 盛んに声をかけてまわる。

[入る入る。]

みんな、面白がって、どんどん入る。

生徒会長も、文化委員長も、運動委員長も、事務局長も、あれも、これも、

みーんな [農業愛好会] に 入ってしまった。

他にも、運動部や文化系クラブの部長だとか、あれとか、これとか、

キーマンとなるような人物は [農業愛好会] に入るか、シンパとなった。

生物部の部長とは友好条約の文書を交わした。シャレだが。


農作業


[農業愛好会] なので、当然、農作業をする。

2年C組の花壇は、これはもう、乗っ取りである。全面に 大根 が植えられ、[農業愛好会] の木札が立てられ、緑色に葉が生い茂った。豊作だった。

中庭では、なす、ピーマン、サトイモ、ジャガイモ、サツマイモが豊作であった。

一方、斜面にはベルサイユコスモスと葉牡丹の種を蒔き、やがて咲き乱れることを夢に思ったが、それは芽を出すことはなかった。

裏山でも、作物を育て、おおむね うまくいったが、かぼちゃだけが不作で、1コしか収穫できなかった。

春菊、ほうれん草 は 花を咲かせてしまい、収穫に失敗した。


文化活動


[会長] は [労働隊長] の別称を持ち、実作業つまり農作の方面の活動の親玉であった。

[副会長] は [文化隊長] の別称を持ち、農業をネタにした文化活動、広義の活動の際の中心人物であった。

8mm filmによるドキュメンタリ映画 [山村のしいたけ栽培] は、その [農業愛好会] の [広義の] 活動 の 皮切り と言える。

2年生の時、3年生の時、文化祭にも参加。3年の時は [愛知用水] をテーマに、

水が流れる仕組み付の模型を出品、映画 [喜びの河] 上映、など、視聴覚に多方面から訴え、

その年の [アイデア賞] を受賞した。


パフォーマンス活動 ~ 前置き


[名誉会長] 高橋 秀樹が中心として やっていたことのなかには、おおよそ、農業のワク外の面が多々あった。

そもそも [農業愛好会] の [正式] (あるいは [公式]) の活動内容と申してよいものやら。

会員全員の意志であるとも言えまいし、高橋 秀樹 の [農業愛好会] を温床としたスタンドプレイであったろう。

しかしながら その [何か] 余計な部分が、まさに、[農業愛好会] を特徴付けていたし、

[部] でもない団体を、超有名な存在にしていたのだ。

当時、[農業愛好会] の することには、全校が注目していたと言っていい。

次にはナニを しでかすやら、目を離せない存在。

生徒(同級生に限らず。むしろ上級生、下級生から注目されていた。)からも

先生方からも無視のできない存在であった。

その派手な存在は、

パフォーマンスをすることはあってもやはり地味な [第1期]、

存在自体 普段 気づかれてないかのごとき [第1期]

とは、はっきり異なっていた。

対照的、というより、やはり、もはや [別団体] と とらえた方が実情に そぐっていよう。


performance 活動 ~ その内容

(この項、記述中。予定)


マイク performance

音楽活動

行商 (動くバザー)

滝修行

ほか


[農業愛好会] モノの楽曲 一覧

[副会長] : 作詞、高橋 秀樹 : 作曲

[農業愛好会 会歌]

[農業愛好会 応援歌]

[農業愛好会節]

[畑のブルース]

etc.

高橋 秀樹: 作詞・作曲

[横高臨歌/よここう・りんか ~ 生徒会之歌]

[畑のフォークソング]

[さらば横高]

[みづからへ ~ 愛知用水のテーマソング]

etc.


8mm film [農業愛好会]

[山村のしいたけ栽培]

ドキュメンタリ。

ドリーブ作曲 [シルヴィア] の高らかな前奏曲 (ホルンのファンファーレ) で幕開け。

岐阜県一の規模を誇る[潮見しいたけ園]の取材を敢行。

(バックミュージック : 前半 / [潮見しいたけ園]の大将の話, 後半 / チャイコフスキー [弦楽のためのセレナード] 第2楽章)

そこで得た豆知識。

ガーン。[しいたけ栽培] は [林業] だった!? (分類上)

しいたけの菌の製造の大手2企業のうち一つは、[明治製菓]。

しいたけは、環境を [悪く] してやらんと、出て来ん。

環境を [悪く] してやると、こらたまらん と 出て来る。

水に漬けて窒息させてやったり。

それでも出て来ん場合は、最後のトドメ。原木をデカいハンマーで どつく。

しいたけをおいしく食べるコツ。

洗ってはいけない。拭くこと。

包丁を使ってはいけない。手で ちぎる こと。

炭火で焼くこと。

なぜか、[潮見しいたけ園] を あとにしても、映画は そこで終わらない。余計なエピソードがついてる。

村の一番の高台、[潮見小学校] に 向かう。

晴れた日には海が見えることがあり、そこから [潮見] という地名が出ている。

昔通った小学校を懐かしそうに眺める しいたけ園 の 大将。

五宝の滝。

(バックミュージック : チャイコフスキー [弦楽のためのセレナード] 第1楽章・冒頭部分)

ここで滝の音を録る。

(バックミュージック : 五宝の滝 の 水音)

滝修行のシーン (高橋 秀樹 solo)

滝修行のシーン (みんなで。ただし女性会員は除く。)

その映像をバックに、農業愛好会の抱負が語られる。

語りの後、水音のツマミ、振り切り。

幕。 (バックミュージック : チャイコフスキー [胡桃割り人形] より [花のワルツ] ラスト 6小節)

その他のバックミュージック : 別に採取しておいた鶯を始めとする主に3種の野生の小鳥たちの声を全編に散りばめた。

[標 / しるべ ~ 目ざめよ]

農業をないがしろにしていては国が滅びる、

というコンセブトのもとに製作した [ドラメンタリー] (ドラマとドキュメンタリのミックス)。

余興に走ってしまったために、荒唐無稽を極めた珍作。ただし

[暗闇に響く二人の会話]

のシーンだけは 名セリフ。

(また、冒頭の [畑での会話] には、主張らしきことが聞ける。)

選曲

プロコフィエフ [ピーターと狼] より [狩人たちのテーマ] の終盤

J.S.バッハ [目覚めよと呼ぶ声がする] by 高橋 悠治 : piano

武満 徹 [crosstalk] [Wave]

レイモンド服部 [コバルトの空] (プロレス中継などでお馴染みの曲)

グローフェ [グランド・キャニオン] より [日没]

ベルリオーズ [幻想交響曲] 第3楽章 [野の風景]

[大空] (陸上自衛隊公式行進曲)

[喜びの河]

[愛知用水] についての、ドキュメンタリ。

[愛知用水の産みの親] 久野庄太郎 邸 を 訪問・インタヴュー敢行。

久野庄太郎 氏 所蔵の [愛知用水原図] など当時の貴重な資料を収録。

エンディングは、高橋 秀樹 作詞 作曲 の オリジナル曲 を 全員でアカペラで斉唱。

他の選曲

チャイコフスキー : ピアノ協奏曲第1番

リスト : ハンガリー狂詩曲

チャイコフスキー : アンダンテ・カンタービレ

ヴィヴァルディ : [四季] より [秋] 第3楽章

ちなみに、撮影は [副会長]。選曲は すべて 高橋 秀樹 でした。


追記・[第1期・農業愛好会] とは別の、もうひとつの [農業愛好会] の前身。[ランキング] と呼ばれる [あっち向いてホイ] に似た遊び。

(現在、記述中。)


ちなみに通っていた高校の名は、[愛知県立横須賀高等学校] 略して [横高 (よここう)]。

[愛知県立] を省略してしまうと、神奈川県かと思われてしまう。

そうではなくて、名古屋の真下、知多半島の根っこ に あたる地域である。

住んでいたのは大府市 (JR 東海道線 共和駅) の 八代山 で、

母校は東海市 (もと上野町と横須賀町の合併)。図解すると以下のようなロケーション。

┌───────┐
│       │« JR 名古屋:なごや は このヘン
│       │
│       │« JR 熱田:あつた  は このヘン
│  名古屋市  │
│       │« JR 笠寺:かさでら は このヘン
│       │
│       │« JR 大高:おおだか、大須:おおす、有松:ありまつ (名古屋鉄道, 略称=名鉄:めいてつ) は このヘン
├───┬───┤
│   │   │« もと 上野町  (東海市)、JR 共和:きょうわ (大府市) は このヘン
│東海市│大府市│
│   │   │« もと 横須賀町 (東海市)、JR 大府:おおぶ  (大府市) は このヘン
└───┴───┘

母校には自転車で 片道 10 km を 往復していた。


余談

[入る入る。]

高橋 秀樹 が執筆中にディスプレイをふと見た ニョーボ : 伊藤 洋子 が、この箇所がちらり見えたために、

[官能小説でも書いているのかしら。]

と思ったそうな。


as of

中学時代


多感な時期に母方のばあさまが死んだ。物心ついて以来初めて葬式に列席する。

そこで葬式というセレモニーが結構おもしろいことに気付かされる。

これだけの様式美を確立した 道元 て人、 よくよくの人物である。

(禅の思想はワカランものの。 ちなみに檀家は曹洞宗。)

また、単調でつまらない さま を [お経みたい] と言うが、

それは実は誤りで、極めて音楽的。起伏に富みヴァリエイションもあり面白いものであることが分かる。

特に [修證義 / しゅしょうぎ] のエキサイティングなこと。ノリノリの文体である。

将来なりたいもののひとつに、このとき、[お坊さん] が加わった。

地蔵寺の住職 (曹洞宗) に どうしたらお坊さんになれるか聞いたこともあった。

経文を趣味で詠み始めた。

(ただし仏教徒になったわけでは。座禅もやってみたが、それは特にピンと来なかった。)

そうした この時期のことは のちに 舞台において 役に立つこととなった。

[修證義] (しゅしょうぎ) については特に、ネタのひとつとして 直接的に 芸の足し となった。

([修證義] をテキストに、ただし、オリジナルの口調にて [語り] を行う、など)

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