理想の世界 |
そこにあるのは正しい光。 理想の世界。 この場にこそ、その名はふさわしい。 ふさわしくない場が名乗る理想は許すまじ。 かくして理想は1つ。 かくして人は争う……。 約46億年前に誕生したこの地球は、今や人間がそのほぼ全てを支配している。いや、人間には「支配している」という感覚はないだろう。ただひたすらに自分たちの生活環境を整えてきたに過ぎない。「全てを知りたい」という飽くなき欲望は、最初は自分たちの周囲、次に隣、もっと遠く、と広がり続け、ついには宇宙にまで飛び出している。宇宙にしても太陽系から銀河系へと広がりを見せ、ついには別銀河へとその目が向けられている。もはや地球上に神秘の世界はなく、多くの人々をひきつけるほどの理想の世界は外に求めるしかなくなったと言っても過言ではあるまい。 人々から「理想の世界」と呼ばれる場所。そこには名前はない。いや、「理想の世界」こそ名前。それ以外の呼び名はあり得ない。 少年がたどり着いたのは偶然であったのか。 翌日。少年は周囲をゆっくりと散歩してみた。のどかに続く田園風景はとぎれる様子がなく、どこまで続いているのかはうかがいしれない。少年の姿を認めた者は例外なく挨拶をし、仕事の手を休めて世話を焼きたがる。辟易しないでもなかったが、悪意があるわけではないし少年が遠慮するとそれ以上は言わないので、むしろ心地よかった。 3日目。前日はパン屋の主人の厚意に甘えた少年は、中心部を見てみようと思った。さほど大きなビルがあるわけではない。せいぜい3階建てくらいの小さな建物。そこが行政府であるらしい。玄関先で少年の姿を見つけた受付担当員は腕を引いて見学していくように言い、行政の仕事をしているはずの人々も総出で行政の仕組みについて説明したりした。それは少年の知る行政とほとんど差がないものの、税金がないことと物品は平等に分配されるという点が異なっていた。それに対して人々は不満を漏らすこともなく、喜んで受け入れているという。確かに人々の表情からは不満など感じられなかった。その日、泊まっていくように強く請われて、少年は行政府で一夜を明かした。 4日目。行政府の中を1人で歩いていた少年は、不思議な扉を発見した。それは行政府の奥深く、普通ならば人が立ち入らないであろう倉庫の奥にあった。鍵がかかっていなかったので、少年はそこへ入ってみる。その奥にはもう1枚の扉。わずかながら声が漏れている。 5日目。前日に引き続き行政府に宿泊した少年は、再び周囲を散策してみることにした。前日のことは少年に疑惑を抱かせていた。 6日目。少年の疑惑はさらに深まる。あるいは人々は、理想の状態を維持するために努力しているのではないだろうか。決して悠々自適に皆が生活しているわけではないのではないか。少年はこの場を立ち去る決心をした。外から見ればまた違って見えるのではないかと思ったからである。ところが、人々は思いの外それを阻止したがった。これまで少年の意志を尊重してきたというのに、立ち去るということを許そうとしない。言葉は穏やかだが、どうあっても外には出さないという決意がそこには見て取れた。 7日目。少年はいくつかのの人影が近寄ってくるのに気づいた。単なる通行人ではなく、明らかに少年に向かってきている。どれも顔に布を巻き、感情を読みとることは出来ない。 灼熱が少年の体ではじけた。 理想の世界。 外に求めれば近いようで遠く、内に求めれば奥深くて届かない。 理想の世界。 それは相対的なもの。ある者にとっては理想の世界であっても、ある者にとってはそれは理想の世界でないかもしれない。車を持っている者にとって自転車は理想ではないだろうが、徒歩の者にとって自転車は理想であろう。 理想の世界。 理想に到達した時、人はどうするのだろう。苦しまなくても良いという理想の世界を求め、ようやくにして理想をつかみ、その状態を維持するために努力し苦しむ。そしてまた……。手にしたものは本当に理想なのか。手にすると、理想はたちまち理想でなくなる。理想の世界は、実現した時点で理想の世界でなくなる。 理想の世界。 理想の世界が他を追い落とし、良い点だけを見せ、そうして維持されているとしたら、それは本当に理想の世界なのだろうか。理想を維持するために争いが起こるのは必然なのであろうか。 理想はどこにあるのだろう。 たどり着いてどうするのだろう……。 〜 Fin 〜 |
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