Last Updated 2010-03-26 |
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さよなら寝台特急「北陸」ツアー
中1になる息子”コードネーム7096M”ですが、何故か鉄オタになりつつあります。別に教えた訳ではないのですが、これも血筋なんですかねぇ。。
子供の成長と旅先で出会った「悪ガキオヤジ」達へのエール、そして消えゆく「北陸」「能登」へのレクイエム。Heiny渾身の一筆です。お楽しみ下さい!
11月のある日、いつものように家に帰ったら、子供が開口一番こう言いました。
「「北陸」「能登」が来年3月で廃止だって。」
そうなんだ。残念だな。と思っていると、子供が続けて、「12月25日は部活が休みだから乗りに行きたいんだけど。」
ここは、「いいよ。」と答える場面だよな、と思いOKしました。
数日後、休日出勤で会社にいた私に家から電話が。。
「行きも帰りも(「北陸」の寝台が)空いてるんだけど。」
ん?ここは、「いいよ。」と答える場面なのか?と思いましたが、わざわざ会社まで電話をかけてくるオタクぶりに感心し、
「じゃあ取っておいていいよ。お金はお母さんに出してもらって。」(後半のひとことは冷や汗ものですね(笑))
家に帰ったら、行程表が出来ていました。これだ!(1、2、3)
見事な鉄オタ行程表(笑)。まあ自分で考えたみたいだし、プランに破綻はないみたいなので、そのままついて行く事としました。
(ちなみにかみさんは「絶対行きたくない」と言っていました(爆笑))
旅の一端をお楽しみ下さい。(この部分だけでも書き始めると長くなりそうなので。)
高山本線猪谷駅。ほっとする風景。 |
富山地方鉄道環状線。2009年12月23日に開通したばかりです。 |
富山地方鉄道。昔のレッドアロー号の車両。懐かしー。 |
富山駅。北陸本線独特の長いホームと鉛色の空が何故か似合う。 |
さて、楽しかった0泊3日の旅も2日目の夜となりました。
いくら何でも「能登」の普通車は40過ぎのオヤジにはキツい、という事で、「乗りたきゃ勝手にどーぞ」のノリで、子供は「能登」、自分は「北陸」で分かれる事としましたが、その話を聞いた時、かみさんはえらく心配していました。
結局、「電車に乗る人はいい人が多いよ。」となだめて決行する事が出来ましたが、「北陸」でひとり旅を洒落込んだ私には、やっぱり楽しい出会いが待っていました。
以降は一人称でお楽しみ下さい。
子供を乗せた「能登」を見送った後、「北陸」は定時に金沢を発車、通路側の折りたたみ椅子に腰をかけ、ビールを開けた。
何となくの開放感に浸っていると、「お別れ乗車ですか?」と声をかけられた。
同じオーラが出ていた事にお互い気付いたのかな。話してみて「やっぱり」と思った。中学生の娘さんと2人で「北陸」のお別れ乗車とのこと。
お互い持ってきた酒を飲みながら、話をする。
さぐりさぐりの会話の中で、どうも極めて似たような境遇である事が判ってきた。
「失礼ですが、何年生まれですか?」
あ、やっぱり。同じ時代の悪ガキだよね。こうなればモード全開でOK(^^;)。
「先々週は「きたぐに」に乗りました。」
「583系ですね。私が今一番乗りたい車両です。下段ですか?」
「パンタ下をねらいましたが空いてなかったので、下段にしました。」
あるある。。
「マニアックですね。むかし、「金星」でパンタ下に乗りました。あそこは広くていいですよね。」
「名古屋から出てたやつですよね。」
「よく●●客車区に忍び込んで、よくそこの親父に怒られました。」
あるある。。。
「でも、何故かそのオヤジ笑ってたんですよね。「しょうがねーなー」って感じで。」
「で、それでいて工場案内とかしてくれちゃって、また次に行くと、今度は部品とかもらっちゃう(笑)」
あるある。。。
「今そんなことやったらただじゃ済まないですよね。オヤジの方がクビになっちゃう。」
「窮屈な時代になったもんです。」
「私は母の田舎が島根だったので、「出雲」によく乗りました。」
「私は京都で育ったので、下りの「出雲」は深夜で見る事は出来ませんでした。でも、明け方に自転車で遠出するのは許されていました。」
あるある。。。
「「山陰」にも乗りました。」
「10系寝台の寝台幅52cmは狭かったなー。」
「上段のクーラーの出っ張りが。。。」
話は尽きない。。。
・・・あの頃の悪ガキが、いつの間にか親になっている。
あの頃の悪ガキが、社会人として少しは社会に貢献できる人間になっている。
仕事に疲れ、すっかり笑うことを忘れてしまった俺が、何故か顔が痛いくらい笑ってる。
そして、いつの間にか時間が戻っていく。。
悪ガキだった、あの頃に。。。
長岡駅での機関車のつけ替えのワンシーン(これは下り「北陸」の写真。)
そして夜が明けた。
連絡先も交換しない。大げさな別れもしない。なぜなら、きっとまた会える気がするから。。
またどこかで出会って一緒に酒飲もうぜ。再会は必ず!
「能登」から降りた子供に「誰?」と聞かれ、「知らない人、北陸の中で友達になった。」と答える。
「良い旅を!」振り返ったら目が合った。やっぱりね。
そして上野からの帰り道、俺は子供に言う。
「今回の旅は、自分で企画し、プランニングから切符の手配まですべて自分の手でやった事に意味がある。
その気持ちが親を動かしたのだ。気持ちを乗せれば人は動く、この事は覚えておいた方がいい。
また行きたい所があったら企画しなさい。親を説得できればちゃんと応えてやるからな。」
我ながら説教くさいが、親の気持ち解るかな。まあいつかは解るだろう、きっと。
え?「親に感謝しろ」って言うと思った?
言うわけがない。もし「むしろ子供に感謝すべきじゃない?」と返されたら、「はい」と言う他ないからね(笑)。
そして2010年3月12日。「北陸」「能登」は人々の思い出の中に旅立った。
最終日間近の「能登」の車内。ラウンジカーは楽しそうでした。
最終日の「北陸」、はっきり言って失敗(泣)。駅を通過する時、短く汽笛を鳴らしてくれた運転士さん、ありがとう。
そして翌朝の車内では、心温まる車内放送があったと聞く。
(リンクは「能登」の車内放送です。興味がある方はこの辺から。)
俺も旅を続けよう。「悪ガキオヤジ」であり続ける為にも。。。
決算報告!
「Excelを使わないのか?」との声が聞こえて来そうですが、まずは手書きで表の構成を
考えさせる。それが出来なきゃExcelは使わせない。
見れば、営業キロの項はあっても換算キロがないとか、一番下に「合計」があった方が
いいとかいろいろありますが、まずは自分で考えた事を評価。
しかし、我ながらうっとうしいオヤジだ(爆)。