長久三年うるふ九月のつごもりに、関白殿ありまのゆに
おはしまして、そのあひだ宮にさぶらふ人人、よしきよ、しげなり、
つねひら、ため中などして 臨池
74
水のおもに よものやまべも うつりつつ かがみと見ゆる いけのうへかな
見泉
75
むかしより おとぎきたかき いづみかな 人のせきいるる 水ならねども
翠松
76 いろふかく こだかくまつは なりにけり いくよそめつる みどりなるらん
紅葉
77
こずゑより ちるだにをしき もみぢばの かぜのおとさへ まれになりゆく
明月
78
月かげの 見るにくまなき あきの夜は たのめぬ人も またれこそすれ
初霜
79 あさまだき 人のふみゆく 道しばの あとみゆばかり おけるしもかな
残菊
80
秋ふかく なりゆくままに きくのはな ひにそへてこそ いろはそめけれ
擣衣
81 からころも うつこゑしげく きこゆなり さむきあらしの おとにそへつつ
遠雁
82
よとともに そらにきこゆる かりがねは しらぬくもぢも あらじとぞ思ふ
惜秋
83 くれてゆく そらにこころぞ とまりける けふをし秋の せきと思へば
長久三年、右大弁山家にて、夜深待月といふ題
84 月かげを まつによふけぬ 秋のよは あくるほどだに ひさしからなん
【校異】
●おとききたかき(島)……をときく高き(類)
●人のせきいるゝ水(島・山・三・御・清・東)……人のせいるゝ水(類)、人のせい【き歟】るゝ水(仲)
●水ならねとも(島・類)……水ならなくに(東)
●小高く(島)……小高き(類)
●(改)初霜(類)……初雪(島)
●けふをし(島)……けふらし(類)
●せきと思へば(島)……せきと思はん(類)
●右大弁山家(島・類)……右大弁家(三・山)
【通釈】
長久三年閏九月の晦日に、関白殿が有馬の湯においでになって、
その間、宮に伺候する人々、義清、重成、経衡、為仲などと詠んだ歌
臨池
74
水の表面に四方の山辺も映りながら、鏡のように見える池の上だなあ。
見泉
75
昔より、評判の高い泉なのだなあ、人が堰き入れた水ではないけれど。
翠松
76
松は色は深く、丈は高くなったことだ。幾世にわたって染めてきた緑なのだろう。
紅葉
77
梢より散っていくのさえ惜しい紅葉の葉は、数が減って、もう風の音までも
稀にしか聞こえないようになってきたよ。
明月
78
月の光を見ても、翳りもない秋の夜には、約束をしていない人でも、
つい待ってしまうことだ。
初霜
79
朝まだき、人の踏み分けていく道柴の跡が見えるほどに、置いている霜だなあ。
残菊
80
秋深くなりゆくにつれて、菊の花は日を追って濃く色を染めていくのだなあ。
擣衣
81
唐衣を打つ音が頻繁に聞こえてくるようだ。寒々とした嵐の音に混じりながら。
遠雁
82
いつも空から鳴き声が聞こえてくる雁のことだ、知らない雲の路など、ないのだろうよ。
惜秋
83
暮れていく空に心が留められることだ。今日こそ秋の関と思うので。
長久三年、右大弁山家にて、夜深待月といふ題
84
月の姿を待っていると、夜が更けてしまう秋の夜は、せめて明けるまでの
間だけでも、長くあってほしいものだ。
【語釈】
●長久三年うるふ九月のつごもりに、関白殿ありまのゆにおはしまして、そのあひだ宮にさぶらふ人人、よしきよ、しげなり、つねひら、ため中などして……長久3(1042)年閏9月30日に行われた、蔵人所歌合のこと。
●よしきよ、しげなり、つねひら、ため中……義清、重成、経衡、為仲。「往年六人党あり」参照。
●ありまのゆ……有馬の湯。有馬は兵庫県神戸市北区、六甲山地の北側、有馬川渓谷沿いの温泉地。温泉は畿内最古の湯として知られ、上代から利用されてきた。泉質は食塩泉。
●おとぎきたかき……音聞き高き。「音聞き」は世間の取り沙汰、風聞、外聞。
●せきいるる……堰き入るる。堰き止めて入れること。
●こだかく……木高く。木の丈が高くなること。
●ちるだに……「だに」は程度の軽い事柄について述べて、もっと程度の重いことについてはなおさら、当然だ、という意を言外に込めるのに用いる。〜さえ。
●おとさへ……「さへ」はさらに同じ趣のものが付け加わる意を表す語。〜まで、その上に〜まで。
●たのめぬ人……約束したわけでもない人。
●あさまだき……まだ朝になりきっていないころ。
●道しば……道芝。路傍に生えている、丈の長い草の総称。
●秋ふかくなりゆくままに……秋が深くなるにつれて。
●ひにそへて……日が経つにつれてますます。
●擣衣……砧(布地の艶を出したり、柔らかくしたりするために布を打つ、木または石の台。)で衣を打つこと。冬支度のため、多く秋に行われた。
●からころも……唐衣、または韓衣。朝鮮半島から入ってきた衣のことか。万葉時代にはすでに立田山に掛かる枕詞となっていたが、平安時代に入ってからは立田山→発つ、着→来、袂、袖、返す、帰すといった衣に縁のある言葉を導く衣の美称のようになった。
●よとともに……いつもいつも。
●秋のせき……「せき」は関。物事を支え止めること。またそのもの。隔て。国境や要地の道に門を設けて、通行人・通行物を検査するところ。関所。
●長久三年、右大弁山家にて……長久3年当時、右大弁は源資通。51番・73番歌でも陳べたように、資通は梅津の山荘を所有していたかと思われるので、山家とは梅津の山荘を指すか。
●あくるほどだにひさしからなん……「だに」は大きな望みを捨て、小さな望みで我慢する意を表す係助詞。せめて〜なりとも。「なん」は動詞の未然形について、相手に対して希望し期待する心を表す。〜てほしい、〜てもらいたい、〜てくれ。明けるまでの間だけでも、せめて長くあってほしいものだ。
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