いろいろに

ホーム 上へ

    ゑもんのすけの家にて、かうしんのよ、のこりのきくを

64 いろいろに うつろふきくの なかりせば なにをかみまし あきのかたみに

    秋野晩望

65 しめゆはぬ きりのまがきの こはぎはら まだあかなくに ひもくれにけり

    依花知秋

66 けさみれば いろつきにけり こはぎはら はなこそあきの しるしなりけれ

    庭尽秋花

67 我がやどに はなをのこさず うつしうゑて しかのねきかぬ 野べとなしつる

    なかをかにて、山家に月をまつ

68 月かげの ふもとのさとに おそきかな みねをこえてぞ まつべかりける

    落葉満庭

69 あさ夕に あらしのはらふ にはのおもに ちりしつもれる もみぢなりけり

    千栽秋花

70 わがやどは はなのやどりと なりにけり 野べのあるじと 人や見るらん

    月夜のしぐれ

71 さだめなき そらにもあるかな 見るほどに しぐれにくもる 冬のよの月

    のこりのきく

72 春秋の はなといふはなの いろいろを のこれるきくに うつしてぞみる

    右大弁のさそひ給ひしかば、むめづにまかりて、河辺水秋夕風

73 秋風の をぎのはすぐる ゆふぐれに 人まつひとの 心をぞしる

【校異】
●をそきかな(島・類)……をそき花(三)、をそき花○○【かな歟】(山)
●つもれるもみぢ(類)……つもれるは紅葉(島)
●(改)そらにもあるかな(類)……そらにもあるな(島)

【通釈】
 
    衛門佐の家にて、庚申の夜、残りの菊を詠んだ歌  
 
64 いろいろな色に移ろいゆく菊の花がなかったなら、何を過ぎていく
  秋の形見と思って見ればよいのだろうか。

    秋野晩望

65 標を結わない霧の籬の小萩原は、まだ飽きもしないのに、日も暮れてしまったよ。

    依花知秋

66 今朝見てみれば、小萩の咲く野原は色づいているのだった。
  花が秋のしるしなのだなあ。

    庭尽秋花
   
67 我が家の庭に野の花を残さず移し植えて、鹿の声の聞こえない
  野辺としてしまったことだ。

    中岡にて、「山家に月を待つ」

68 月の光が麓の里に届くのは、遅いことだなあ。峰を越えてから、
  まず帰ってしまうものだから。

    落葉満庭

69 朝夕に、嵐の吹き荒れる庭の上に、散っては積もる、紅葉なのだなあ。

    千栽秋花

70 我が家は、花の宿となってしまったよ。人は野辺に住む者と思っているだろう。

    月夜の時雨

71 晴れたり曇ったりの空模様だなあ。見ているうちに、時雨のせいで、
  曇ってしまった冬の夜の月だ。

    残りの菊

72 春秋の花という花の様々な色を、咲き残っている菊に擦りつけて見ることだ。

    右大弁が誘いなさったので、梅津に行って、「河辺水秋夕風」

73 秋風が荻の葉を吹き抜けてゆく夕暮れには、人を待っている
  人の心を知ることだなあ。
   
【語釈】   
●ゑもんのすけの家……この衛門佐が左右いずれであったかは明らかでない。ただ、頼実自身は左衛門尉に任ぜられたことがあり、左衛門府に頼実の近親者が多いことから、この衛門佐は左衛門佐であると考えられる。
左衛門権佐 藤原泰憲(五位蔵人・頼実が六位蔵人の時の上司)長久2〜4年
左衛門尉  源頼資(弟) 長暦3年〜        、
左衛門尉  橘資成(橘義清・為仲の兄弟、かつ頼実の母方の従兄弟) 長久2年
●かうしんのよ……庚申の夜。「庚申」は庚申待ちの略。庚申の日に、仏家では帝釈天、青面(しょうめん)金剛を、神道では猿田彦を祀って徹夜をする行事。この夜眠ると、体内にいる三尸虫が抜け出て、天帝にその人の罪過を告げ、早死にするという道教の説によるとされる。平安時代以降、陰陽師によって広まり、経などを読誦し、共食・歓談しながら夜明かしをした。
●のこりのきく……重陽(九月九日)を過ぎて咲いている菊。秋の終わりまで咲き残った菊。
●うつろふ……移ろふ。色が褪せる、または色づくの意だが、ここは菊の花が時間の経過と共に紫色に変色する様子を詠ったものか。
●かたみ……形見。一般には死んだ人や遠くに行った人を思い出す記念となるものだが、ここでは秋の思い出となるべきもの。
●しめゆはぬ……標結はぬ。「標」は標縄のこと。地域を限るための目印の縄。または不浄なものを入れないように、神前・神事の場に引き渡した縄。
●きりのまがき……霧の籬(竹や柴を粗く編んで作った垣)で一語。平安時代には、みずからと相手との間に立ち、二人の仲を隔てるものとして和歌に詠まれた。
●あかなくに……37番歌参照。
●うつしうゑて……花を野辺から移植してきて、自邸の庭に植えて。31番歌でも、秋の花を「掘り植ゑて」きたと詠われている。
『後拾遺和歌集』には、この歌の前に、「橘義清家歌合しはべりけるに、にはに秋花をつくすといふ心をよめる 源頼家朝臣 わがやどにちぐさのはなをうゑつればしかのねのみやのべにのこらん(231)」があり、対をなしている。
●はなのやどり……花の宿り、すなわち花が多く咲くところ。
●さだめなき……一律にこうだと断定できない、晴れたかと思うとすぐ曇ってしまう空模様。
●みるほどにしぐれにくもる……「ほど」は時間的な間、うち。見ている間に時雨がきて、曇って。
●さだめなき……一律にこうだと断定しがたい。
●みるほどに……見ているうちに。「ほどに」は〜うちに。
●しぐれにくもる……時雨のせいで、曇ってしまった。
●はなといふはな……春秋に咲く、花という花。
●うつしてぞみる……移してぞみる。「移す」は色を擦りつけて、染めることをいう。「秋の野の花のいろいろとりすべて我が衣手にうつしてしがな(『拾遺和歌集』雑秋・1099・詠み人しらず)」
●右大弁……頼実在世中の右大弁は以下の通りだが、「むめづにまかりて」とあるので源資通が最もふさわしいと思われる(51番歌・梅津の項参照)
長元2(1029)年1月24日〜 源経頼 長暦3(1039)年8月28日、63歳で没
長暦2(1038)年6月26日〜 藤原経輔 藤原隆家男 
長暦3(1039)年12月16日〜寛徳2(1045)年 源資通 源済政男
●はらふ……ごみや塵などを取り払う。掃き清めること。
●ちりしつもれる……散っては積もる。

【参考】
『後拾遺和歌集』、332
「橘義清家歌合し侍りけるに、庭に秋花を尽くすといふ心をよめる 
我がやどに はなをのこさず うつしうゑて しかのねきかぬ 野べとなしつる」