あきはぎの

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    源大納言の家に、八月にうたあはせあらんとしたるを、のびて九月に
    なりにければ、十首のだいの中にはぎのありけるを、いまは
    ときすぎにたりとて、もみぢにかへられければ、そのよしをうたの人人
    あつまりて、かはらけとりてよみけるに

53 秋はぎの けふまでちらぬ ものならば もみぢのいろも まさらましやは

    長暦二年九月十三夜、源大納言の家にをとこをんなかたわきて、
    うたあはせせられけるに、をとこかたの九人がうちにめされてよめる
    月

54 つねよりも のどけきそらに みつるかな 世をながづきに すめる月かげ

    風

55 よしの山 もみぢちるらし 我が屋どの こずゑゆるぎて あき風ぞふく

    露

56 みやぎのの けさのしらつゆ ひまなくて かぜはたまをや ふきみだるらん

    きり

57 花見んと しめしかひなく 秋ぎりの あしたのはらを たちわたるかな

    すすき

58 はなすすき ほにいでてなびく 秋風に 野べはさながら なみぞたちける

    きく

59 くらきよも をりつべらなり 我がやどの をもしろきまで さけるしら菊

    た

60 をやまだの 秋はてがたに みゆるかな のこりすくなき かりやしつらん

    もみぢ

61 すぎかたき いろとみゆれば もみぢばの ふかきやまぢに こまをとめつる

    かり

62 しらくもに あとはきえつつ とぶかりの きにけるこゑを そらにしるかな

    しか

63 こゑしげみ さをしかのなく 秋の夜は きく人さへぞ おどろかれぬる

【校異】
●家に、八月に(類)……家に月に(島)
●九月になりにけれは(島)……九月になりてけれは(類)
●(改)ときすきにたりとて、(類)……ときすきにたり、(島)
●うたの人人(島)……かたの人人(類)
●九人がうちに(島)……九人のうちに(類)
●(改)秋風そ吹く(類)……あき秋の吹く(島)
●(改)けさのしらつゆ(類)……けさのしくつゆ(島)
●をもしろきまて(島・類)……をしろきまて(三)、をしろ【本(朱)】きまて(山)
●きく人さへぞ(島)……きく人さらに(類)

【通釈】
    
    源大納言の家で、八月に歌合をしようとしていたのが、延期して九月に
    なってしまったので、十首の題の中に萩のあったのを、今は時季が
    過ぎてしまったということで紅葉に代えられた。その理由を方人たちが
    集まって、土器を取って詠んだ歌

53 秋萩が今日まで散らないものであったなら、紅葉の色も、萩に勝るものだろうか。

    長暦二年九月十三夜、源大納言師房家で男方、女方に分かれて、
    歌合をなさったのに、男方の九人のうちに呼ばれて詠んだ歌
    月  

54 いつもよりも、穏やかな空に見るのは、世に長く住む、九月の澄んだ月の姿である。

    風  
     
55 吉野山の紅葉は今ごろ散っているだろう。我が家の紅葉は梢が揺れて、秋風が吹いているのだから。    
 
    露

56 宮城野の今朝敷いた露は、隙間もないので、風は露の玉を吹き乱しているのだろうか。

    霧

57 花を見ようと標をした甲斐もなく、秋霧が朝の原一面を覆ってしまったよ。

    薄

58 花すすきが穂先に実を結んでなびいている、その秋風のために、野辺は
  すっかり波がたってしまったなあ。

    菊

59 暗い夜でも、そこにいるようだ。我が家で情趣あふれるまでに、咲いている白菊の花は。

    田

60 小山田の秋は終わりを告げるころだなあ、残り少ない刈りをしていることであろうよ。

    紅葉

61 素通りし難い色と見たので、もみじの葉の色も濃い山道で、馬をとどめたことだよ。

    雁

62 白雲の中を跡が消えながらも飛んでくる、その雁が来た声を、何となく知ったことだ。

    鹿

63 秋の夜には牡鹿が雌の鹿を求めて激しい声で鳴くので、聞いている人までも、
  目を覚ましてしまうことだ。  
  
【語釈】
●源大納言……源師房。「六人党をめぐる人々」参照。
●ときすぎにたり……萩は9月の題としてはすでに時季はずれである。
●長暦二年九月十三夜、源大納言〜うたあはせ……長暦2(1038)年9月13日の『源大納言師房家歌合』。
●かたわきて……両方に分けること。
●世をながづきにすめる……「長」と「長月」を掛け、「住める」と「澄める」を掛ける。
●よしの山……大和国の歌枕。奈良県吉野郡の山だが、金峰山・大分山・高城山・青根が峰など、現在の吉野山より広い範囲の山の総称であった。万葉時代には、吉野川のほうが多く詠まれていたが、平安時代になると雪の名所として「み吉野」の語彙が用いられた。桜と結びつけられるのは平安末期、西行が登場してからである。
●我が屋ど……我が宿。『万葉集』では、「屋外(やど)」と書き、庭先の意で用いられていたものが、平安時代には建物を指すようになった。しかし庭に植えた植物を指すという使い方だけは「宿の藤」「宿の梅」などという言葉に残された。
●ゆるぎて……揺るぎて。揺れ動いて。
●みやぎの……陸奥の歌枕。現在の宮城県仙台市の東方一帯(当時国府があった)を指す野原のこと。『古今集』にある「宮城野のもとあらの小萩露を重み風を待つごと君をこそ待て」「みさぶらひ御笠と申せ宮城野の木の下露は雨にまされり」の二首が有名。「もとあらの小萩」「木の下露」「露」「小萩」などの語が共に詠まれるようになった。
●ひまなくて……隙間もなく。
●しめしかひなく……標(しめ)をした甲斐もなく。「標(しめ)」は「占む」と同義。縄を張ったり、柵を立てたりして、土地を囲って占有すること。神域を指すことが多く、「春はなほ〜」など、「しめの内」「しめの外」も使われた。
●あしたのはら……朝原。大和国の歌枕。現在の奈良県北葛城郡王寺町から香芝町にかけての丘陵。「片岡の朝の原」と詠まれることが多い。「あした」→「今日」と続けて詠んだり、「雁」「紅葉」「女郎花」「きぎす」などと共に使われたりした。
●たちわたる……雲や霧などが、一面に覆う。一面にかかるようす。
●ほにいでて……穂に出でて。穂先に実を結んで。
●さながら……そのまま、すっかり・全部、まるで、などの意味があるが、ここはすっかり・全部。
●くらきよもをりつべらなり……「べらなり」は助動詞「べし」の語幹「べ」+接尾語「ら」+助動詞「なり」。平安時代初期には訓点語として用いられ、中期に和歌用語として用いられた。〜するようだ。〜しそうだ。暗い夜でも、そこにいるようだ。
●をもしろきまでさける……興趣を感じるほどに咲いている。
●をやまだ……小山田。「山田」と同様、山地にある田のことだが、山田が淋しいイメージを持つのに対し、「を山田」は「苗代水」やなどと共に、水の引きにくい田という意味合いで使われることが多い。
●はてがた……果て方。終わるころ。
●すぎがたき……過ぎがたき。「過ぎがてに(行き過ぎようとしてためらうこと)」の連体形として使ったものか。
●そらにしる……それとなく知ること。はっきりした根拠のないこと。
●こゑしげみ……声が頻繁に聞こえてくるので。
●さをしかのなく……「さをしか(小牡鹿)」は平安時代にはその鳴き声で秋を悲しむよすがとされている。
●おどろかれぬる……目を覚ましてしまう。