あさぎりを

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    終日見花

43 あさぎりを 野べにわけつる かひもなく けふさへはなに あかでくれぬる

    見庭萩

44 あをやぎの えだばかりにも 春くれて にたるはななき やどのあきはぎ

    なかをかに、なかつかさの宮などおはして、一夜とまりたまひて
    ありしに、もみぢをよめる五首

45 くれなゐに ふもとのかはの うつるまで みねのもみぢの ふかくもあるかな

    野花

46 かへるさは いそがれぬかな はなのかの ひをへてかはる 野べにきぬれば

    旅雁

47 そらにのみ こゑのきこゆる かりがねは あまのかはらに やどやかるらむ

    しか

48 夜をかさね しかのねたかく きこゆなり こはぎがはらや しほれしぬらん

    あきぎり

49 かはぎりは をちみえぬまで たちにけり いづれかよどの わたりなるらん

    右大弁の家にて、九日、翫菊

50 おいせじと おもておもてに のごへども しもいただける しらぎくの花

    むめづに、四条中納言などおはして、ゆふぐれにふねにのりて、
    あしのはな雪のごとしといふだいを

51 きしによる あしかりをぶね なかりせば ゆきとのみこそ 見るべかりけれ

    うちのせざいほりに

52 ここのへに うつしうゑつる しるしには ひさしくにほへ 野べの秋はぎ

【校異】
●かひもなく(島)……かひもなし(類)
●かはぎりは(島)……かはぎりに(類)
●(改)おもておもてにのこへとも(島・類)……おもひおもひていとへとも(東)
●(改)雪のごとし(類)……雪のごとき(島)

【通釈】

    終日見花
 
43 野原に出て、朝霧のかかった草を押し分け進んでいった甲斐もなく、今日
  までも花に満足することなく日が暮れてしまいましたよ。
 
    見庭萩
   
44 青柳の枝のあたりにも春は暮れて、見間違える花のない、我が家の秋萩よ。
 
    中岡に、中務卿などいらっしゃって、一夜宿泊なさっておられたところに、
    紅葉を詠んだ五首


45 紅の色に麓の川が映るまで、峰の紅葉は深く色づいていることだ。
 
    野の花
 
 
46 帰途は急がれることだ。花の香は日を追う毎に変わってしまう野辺に来たので。
 
    旅の雁
 
 
47 空にだけ声が聞こえる雁は、天の河原に宿を借りているのだろう。
 
    鹿
 

48 夜を重ねるごとに、鹿の鳴き声は高く聞こえてくるようだ。きっと
  萩の生える野原が、萎れてしまったからだろう。
 
    秋霧
 
49 川霧は向こうが見えなくなるまで立ち上ってしまった。どこに淀の
  渡り瀬があるのだろう。
 
    右大弁の家にて、九日、「翫菊」
 

50 老いるまいと、菊の着せ綿で顔を何度も拭うけれど、霜をいただいて
  いる、白菊の花だよ。
 
    梅津に、四条中納言などいらっしゃって、夕暮れどきに舟に乗って、
    「蘆の花、雪のごとし」という題で詠んだ歌
 
51 岸に寄せる蘆刈り小舟がなかったならば、川に生える蘆の花はただ
    雪だけと見ることができようものを。
 
    内裏の前栽掘りをして、詠んだ歌
 
52 宮中に、たくさんの花を移植した証拠に、長らく匂ってくれ、野辺の秋萩よ。

【語釈】
●あさぎりを野べにわけつる……野原で霧のかかった草を押し分け進んでいく。  
●あをやぎ……春、芽を吹いた柳の称。
●えだばかりにも……「ばかり」は時・所を表す語の下に付いて、その近くの意を表す。枝のあたりにも。
●にたるはななき……見間違う花のない。
●なかつかさの宮……敦貞親王を指すか。
敦明親王の皇子、母は藤原顕光女延子。長和3(1014)年〜康平4(1061)年2月8日。寛仁3(1020)年、三条院の養子となり、親王宣下。長元9(1036)年6月、二品。7月、後朱雀天皇即位時に左侍従として奉仕。11月には中務卿となり、永承5年2月式部卿になるまでその地位にあったと思われる。従三位贈源済政女を妻とし、子に宗家、敦輔王(1044〜1111、敦平親王養子となり、定頼女を養母とした)、権大僧都寛意(1054〜1101)などがいる。源資通の義弟に当たるため、資通とは親交があったと考えられる。この「なかをか」も資通所有の山荘か。
●かへるさ……帰り道。帰りしな。
●あまのかはら……天の川にあると考えられた河原のこと。
●こはぎがはら……小萩は萩の美称。
●しほれしぬらん……「しほれ」は「しをれ(萎れ)」のこと。
●よど……淀。歌枕の一つ。京都市伏見区の地名。宇治川・賀茂川・桂川・木津川が合流して淀川となる。海上交通の要地として栄えた。
●右大弁……源資通のこと。源資通は「六人党をめぐる人々」参照。右大弁については38番歌参照。
●九日……九月九日の重陽のこと。菊の着せ綿といい、陰暦9月8日の夜、菊の花に綿をかぶせてその露と香を移し、翌朝これを取って、露に湿った綿で顔をぬぐい、長寿を願った。
●翫菊……菊の花を賞翫する。慰み物として興ずる。
●おいせじ……老いるまい、と。
●おもておもてにのごへども……面面に拭へども。顔を何度も拭うことを言うか。
●しもいただける……霜をかぶった。
●むめづ……京都市右京区梅津。源師賢の山荘があったところで有名。師賢は源資通の二男で、梅津の山荘は資通から譲られたものと考えられる。一方、資通には年の離れた姉があり、定頼の正室であった。山荘を資通の姉(または定頼)が所有していた時期があったかどうかは定かではないが、仮に当時資通の所有であったとしても、定頼は資通の義理の兄であるので、山荘を訪れることもあったのだろう。
●あしかりをぶね……蘆を刈って積むための船。
●四条中納言……藤原定頼。
●あし……蘆・芦・葦とも。水辺に自生する多年草。よく繁り、大きな笹に似て葉が長く、秋、目立たない花をつける。干した茎で屋根を葺いたり、簾などを作る。
●ここのへに……「宮中に」の意に、重なりを表して「たくさん」植えたとした。