はなをみる

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    三月三日、ある人の家にて、はな見くらして、おのおのさかづきとりてよめる

1 はなを見る はるはやみだに なかりせば けふもくれぬと なげかましやは

    三月十五日、しらかはでらに五時かうに人人いきて、ふみなどつづりてのち、
    けふことにかならずすべきよしを、かはらけとりてよみける


2 しらかはの けふのちぎりを たがへずは 春のみとふと 人やおもはむ

     やまぶきををりて、ある人のうたよみておこせたる、返し  

3
ゐでにゆく 人にもあらで わがやどに をりてぞ見つる やまぶきの花

    長久二年源大納言家にて、りむじにおつる花ををしむといふだいを 

4
ちるころは ちるを見つつも なぐさめつ はななきはるの なをやのこらん

    しらかはでらにて、花浮瀧水題を

5
ながれつる たきの水だに なかりせば ちりにしはなを またもみましや

    
    宮にて
、はなによりて春ををしむといふだいを 


6 ゆくはるを をしむこころは ちりのこる はな見る人や のどけかるらん

     春の夜の月 

7 くもりなき そらもかすみに かすみつつ ひかりにあかぬ はるの夜の月
   
    源大納言のねの日に


8 ねの日して けふひきそむる ひめこ松 いくたびはるに あはむとすらむ

【通釈】

  春
    三月三日、ある人の家で、花を見て過ごし、各々杯を手に取り詠んだ歌
   
1  花を見る春は、夜の闇さえなかったならば、今日も暮れて花が
  見えなくなってしまったと、嘆くことがあろうか。
  
    三月十五日、白川寺に五時教に人々が参加し、漢詩などを綴った後、
    今日特別に必ずすべき理由を、土器(かはらけ)を取って詠んだ歌
  
2   ここ白川において、今日交わした約束を違えないので、まあ、
  春しか訪れないものだと人は思うことでしょう。      
   
    山吹を折り取って、ある人が歌を詠んで寄越した、その返事 
    
3   井手に行く人でもないのに、自分の家にいながら、折って見る
  ことのできる山吹の花ですね。 

    長久二年、源大納言師房家で、臨時に「落つる花を惜しむ」という題で詠んだ歌 
   
4  花が散るころは、散るのを見て心を慰めたものだが、花なき春は、
  名ばかり残っているのだろうか。
     
    白川寺で「花、瀧の水に浮かぶ」という題で詠んだ歌     
        
5  流れている瀧の水さえなかったならば、散ってしまった花が下に落ちている
  のを、また見ることもできるだろうに、花を瀧の水が流してしまうことだ。    

    宮邸で、「花によりて春を惜しむ」という題で詠んだ歌
   
6  行く春を惜しむ心は耐え難いが、散らずに残る花を見る人はまあ、
  穏やかな気持ちでいられることだろう。     

    春の夜の月
      
7  雲のない空も、霞がかかってぼんやりとしている中で、光に
  満足している、春の夜の月よ。   
     
    源大納言師房家で、子の日に詠んだ歌

8  子の日の行事をして、今日引き始めたばかりの小さな松は、
  これから幾度春にめぐり逢うことでしょう。   

【校異】
●ふみなとつゝりて(島・類・山・三)……ふみなとつくりて(御・清)、ふみなとつゝ【くイ】りて(仲)
●ゐてにゆく(島・類)……ゐてにくる(東)
●りむじに(島)……かむしに(類)
●おつる花をゝしむ(島)……おつるおしむ(類)
(改)瀧水(類)……花浮澗水(島)
●春をおしむ(類)……花をおしむ(島)

【語釈】
三月三日、ある人の家にて、はな見くらし……当時、三月三日は上巳の祓、曲水の宴が行われたものである。
 古代中国においては、周代以前の水の精霊に対する祭の一つで、不祥を流水に託して除去することが曲水宴の始まりであったという。はじめ、三月上巳に行われていたが、魏の時代に三日となり、我が国でも文武天皇の時代から三日と定められた。天皇が行幸され、宴を行い、文章生が詩の会を開く。
 平安時代に入ると、清涼殿の庭に曲溝を作り、水を引き入れ、酒杯を浮かべ、文人たちが集まり杯が自分の前を通り過ぎないうちに歌を詠むという風流な宴会として貴族の間でもてはやされた。摂関時代には臣下の私邸で行われることが多く、王朝時代では藤原道長が寛弘4(1007)年3月3日に行った宴が特に盛大であった。
 ここでは、「花見くらし」とあるので、あるいは桃の花を見ながら酒杯を傾ける宴会があったのかもしれない。

「三月三日、盃山浮水流といふ題を
水波に 流れてくだる かはらけは 花の影にも くもらざりけり 『為仲集』63」
●なかりせば〜なげかましやは……過去の助動詞「き」の未然形「せ」に接続助詞「ば」がついて、事実でないことを仮定して言うのに用いる。なかったなら、〜嘆くこともないであろうに。
●しらかは……白川。京都市左京区を流れる川。比叡山に源を発し、祇園付近で鴨川に合流する。転じてその流域一帯、北は北白川、南は粟田口、西は鴨川、東は東山の間の地区を指した。九条までを含むという説もある。白川によって作られた扇状地上に古くから発達していた地域で、平安初期、白川大臣と呼ばれた藤原良房以来、藤原家累代の別業地となり、禅林寺や円成寺などの寺院が建立された。中期以降、法勝寺以下六勝寺をはじめ、貴族の邸宅が造営され、行幸・遊覧が盛んに行われた。桜でも有名で、藤原公任がここに山荘を所有し、桜を詠んだ歌が多いことは知られている。
●しらかはでら……北白川にあった、寂楽寺のことか。
●五時かう……五時教(ごじけう)のことか。五時教は天台大師が釈迦一代、五十年間の説教に順序のあることを示そうとして、五つの時期に分けて説いたことをいう。
第一時 華厳時 最初の21日間に華厳経を説いた時期
第二時 阿含時 鹿野苑で『阿含経』を説いた次の12年間
第三時 方等時 方等部の諸経を説いた次の8年間
第四時 般若時 諸部の『般若経』を説いた次の22年間
第五時 法華涅槃時 入滅の一日一夜に『涅槃経』を説いた最後の8年間
●けふことにかならずすべきよし……白川寺での五時講を今日、必ずすべきだという理由、口実。
●ちぎりをたがへずは……「ずは」は打ち消し助動詞「ず」の連用形+係助詞「は」。約束を違えないので、ああ。
●ゐで……井手。山城国の歌枕。京都府綴喜郡井手町。奈良と京都の間に位置し、早くから開けていた。木津川に合流する玉川の水が旅人の飲み水になったということから、「手飲み(たのみ)」と「頼み」を懸けることが多い。また山吹と蛙の名所としても知られるため、共に詠み込まれた歌も多数ある。
●をりてぞみつる……「居り」と「折り」を掛ける。居ながらにして、折って見る。
長久二年源大納言家……長久2(1041)年4月7日に、権大納言であった源師房邸で歌合が行われているが、その題にはこの歌の題は含まれていない。別の日にまた歌合があったのだろう。
●はななきはる……「花なき〜」の先蹤詠としては、『古今和歌集』春、9(紀貫之)の「
霞たちこのめも春の雪ふれば  花なきさとも花ぞちりける」、『古今和歌集』春歌上、31(伊勢)「はるがすみたつをみすててゆくかりは  花なき里にすみやならへる」、『後拾遺和歌集』第二、春下、138(坂上定成)の「桜ちるとなりにいとふ春風は 花なき宿ぞうれしかりける」などがある。
●宮……藤原頼通の邸宅、高陽院を指すと思われる。高陽院には長暦2(1038)年生まれの祐子内親王がおり、頼実や和歌六人党のメンバーは頼通やこの内親王の家司であったと考えられる。
●ゆくはるををしむこころ……過ぎ去る春を惜しむ心。先蹤詠としては、鶯や散りゆく花と共に詠み込んだ歌が多い。
「行く春のたそがれ時になりぬれば鶯の音もくれぬべらなり(『古今六帖』はるのはて・つらゆき)」
「散る花のもとにきてしぞくれはつる春の惜しさもまさるべらなれ(同上)」
●のどけかるらん……のどかだ、穏やかだ。のんびりと閑がある。
●ねの日……正月の子の日、人々は野に出て小松を引き抜き、不老長寿を祈った。
●ひめこ松……小さな松。五葉松の別名とも言うが、ここは小松に小さくかわいらしいものであることを表す接頭語「姫」をつけたもの。