くれゆけば

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『後拾遺和歌集』

    禅林寺に人々まかりて、「山家秋晩」といふ心をよみ侍りける

281  暮れゆけば 浅茅が原の 虫の音も 尾上の鹿も 声たてつなり

    橘義清家歌合し侍りけるに、「庭に秋花を尽くす」といふ心をよめる

331  わが宿に 千種の花を 植ゑつれば 鹿のねのみや 野辺に残らん

    師賢朝臣、梅津の山荘にて、「田家秋風」といふ心をよめる

369  宿近き 山田の引板(ひた)に 手もかけで 吹く秋風に まかせてぞみる

    道雅三位の八条の家の障子に、「山里の雪の朝、客人門にある所」をよめる

412  山里は 雪こそ深く なりにけれ 訪はでも年の 暮れにけるかな

    
    「連夜に月を見る」といふ心をよみ侍りける

838 しきたへの 枕のちりや つもるらん 月のさかりは いこそ寝られね

長暦2年『源大納言師房家歌合』
 

    秋田 

   秋の田に なみよる稲は 山河に 水ひきうへし さなへなりけり

長久2年『源大納言師房家歌合』  

    

   をしこめて いのりかけつる 葵草 しめのほかなる 人もたのまむ

    山吹
  
   山吹の 花の匂に あひてこそ 井手のあるじと ならまほしけれ    

【通釈】

    禅林寺に人々が行き、「山家の秋の晩」という心を詠んだ

  秋の日が暮れていくと、ここでは浅茅が生い茂った野原で鳴く虫の音も、
  山の峰で立てる鹿の音も、合わさって聞こえてくることだ。

    橘義清の家で歌合をしました折、「庭に秋の花を尽くす」という心を詠んだ

  野原から、わが家の庭にいろいろな種類の花を植えてしまったので、
  野原のほうでは草の根はなく、鹿の鳴く音しか残っていないだろう。

    師賢朝臣の梅津の山荘で、「田家の秋風」という心を詠んだ

  我が家に近い、山田の引板に手をかけることはしないで、吹く秋風に
  まかせて音の鳴るのを待ってみよう。

    道雅三位の八条の家の障子に、「山里の雪の朝、客人門にある所」を詠んだ歌

  山里は雪が深くなってしまったことだ。今まで訊ねないでいて、
  こうして年が暮れてしまったよ。

    「連夜に月を見る」という心を詠みました歌

  月が幾晩も続いて見られる、そんな観月の盛りの時期には、ゆっくりと
  寝てもいられないから、枕には塵が積もっていることだろう。
 
    「秋の田」

  秋が訪れた水田に、まるで波が打ち寄せるように風になびく稲は、春に
  山河から水を引いてきて植えた早苗だったのだなあ。


    「葵」

  口には出さず、あの人に逢える日が来ますようにと、祈りながら飾る葵草には、
  現実には逢うこともままならぬあの人も、同じことを祈っているだろうか。

    「山吹」
  
  山吹の花の香に行き会ってしまうとまあ、井手に家を持って住みたくなるものですよ。
   
【語釈】
●禅林寺……現京都市左京区の永観堂のこと。藤原関雄の旧居。
●浅茅が原……「浅茅」は丈の低いチガヤのこと。転じて浅茅の生えるような荒れ果てた場所を指した。
●尾上の鹿……尾上は「峰(を)の上(うへ)」の略。山の上の鹿。
●橘義清家歌合……和歌六人党の一人、橘義清が自邸で主催した歌合。長久3(1042)年ころと推定されている。
●千種の花……いろいろな種類の花。
師賢朝臣……源師賢朝臣。長元8(1035)年〜永保元(1081)年。参議兵部卿、資通男。母は源頼光女。左中弁、正四位下。承暦2(1078)年内裏歌合などに出詠。和歌・管弦に優れていた。後拾遺集初出。
梅津の山荘……京都市右京区梅津。もとは資通の所有であったのを譲られたものか。師賢の山荘は、歌人たちが集い詠歌する場として使われていたらしい。
●山田……山の中にある田。土質や日当たりが悪く、手入れが行き届かないことから稲の出来が悪く、荒れ果てた雰囲気を詠み込むのに使われた。

引板……「引き板」から転じて「ひた」。鳴子のこと。
●まかせてぞみる……「来ぬ人を よびにはやらず 我が宿は 招く尾花に まかせてぞみる(『平兼盛集』)」

道雅三位……藤原伊周の長男、藤原道雅(992〜1054)。父伊周が道長との権力闘争に敗れたこともあり、家柄に比して不遇の人生を送った。
八条の家の障子……永承2年ごろ、道雅は八条の山荘の障子に描かれた絵を題材にして、歌合を開催した。その絵の一枚が「山里の雪の朝、客人門にある所」。
●山里……山の中にある人里。うら寂しい、わびしい雰囲気を表す語として、中国の山居思想などの影響を受け、『古今集』以後好んで詠まれた。

しきたへの……「枕」にかかる枕詞。
月のさかり……観月のさかりの時季。
●葵……ウマノスズクサ科の多年草、フタバアオイのこと。山野に自生。茎頂に双葉を出すので陰陽に擬して賀茂祭に鬘として使用した。和歌においては「逢ふ日(あふひ)」と懸けて用いられる。
●をしこめて……押し込めて。口には出さないでいること。
●しめのほか……「注連の外」。神域、または領地などにみだりに立ち入ることを禁じるための標識。またその領域。転じて男女の仲が絶え隔たって、逢うのが難しい状態を言う。
●井手……山城の国の歌枕。京都府綴喜郡井手町。奈良と京都の間に位置し、早くから開けていた。木津川に合流する玉川の水が旅人の飲み水になったということから、「手飲み(たのみ)」と「頼み」を懸けることが多い。また山吹と蛙の名所としても知られるため、共に詠み込まれた歌も多数ある。