おもひかね

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『後拾遺和歌集』第十、哀傷

     父の服(ぶく)脱ぎ侍りける日、よめる       平 棟仲
 
589 おもひかね かたみにそめし 墨染の 衣にさへも 別れぬるかな 

                                   平 教成

590 うすくこく 衣のいろは かはれども おなじ涙の かかる袖かな 
 
『後拾遺和歌集』第十八、雑四

     
住吉にまゐりて、よみ侍りける
 
1066 
忘れ草 つみてかへらん 住吉の きしかたのよは 思ひ出もなし   

長暦2年『源大納言師房家歌合』 

     紅葉

      風吹けば そこにくれなゐ みちぬめり いかばかりなる 山の紅葉ぞ  

【通釈】
    
    父の喪が明けて、その喪服を脱ぎました日に詠んだ歌

  悲しみに堪えかね、互いに形見として染めた墨染めの喪服にさえも、
  今日は別れを告げてしまったことですよ。  

  濃い鈍色から薄色へと、衣の色は変わっても、同じように
  悲しみの涙がかかる袖であることだ。

    住吉神社に参詣して、詠みました歌

  忘れ草を摘んで都へ帰ろう。住吉の岸辺に思い出はないように、
  住み良いという、これまで生きてきた世の中に思い出はないのだから。 
     
    紅葉 
   
  風が吹くと、地面の底に紅の色が満ち満ちていくようだ。いったい、
  山にはどれほどの紅葉が積もっていくのだろうか。

【語釈】
●父の服……父重義は万寿3(1026)年まで生存が確認できる。両親の死の服喪は1年であるので、この贈答は万寿4(1027)年以降のこととなる。
●おもひかね……悲しい思いに堪えかねる。
●かたみにそめし……「形見」と「片身(衣の片方)」を掛ける。兄弟での贈答歌であることから、副詞の「かたみに(互いに)」の意も掛けているか。
●平教成……生没年未詳。前上野介従五位下平重義男。母は藤原道隆女。紀伊守、従五位上。棟仲の同母兄。長和5年(1016)4月20日に蔵人所雑色として見任(『御堂関白記』)、治安3(1023)年12月26日に左衛門尉として見任(『小右記』)。長暦2(1038)年源大納言師房家歌合に出詠。後拾遺集のみに1首歌が遺る。
●うすくこく……服喪が明けると、濃い鈍色の喪服から常服に替える。
●住吉……現在の大阪府住吉区の一帯を指す。ここは住吉神社か。住吉神社は本来海上安全の神であったが、平安後期には和歌の神として歌人たちの崇敬を受けるようになった。なお、住吉は『万葉集』で「住吉(すみのえ)にいくといふ道に昨日見し恋忘貝言にしありけり」などと「恋忘貝」と共に詠まれたが、平安時代になると「忘れ草」に変化する。
●忘れ草……ユリ科の宿根草、萱草(かんぞう)のこと。葉は線状で先端が垂れており、7月ごろ花茎を出し、黄赤色のユリに似た花を咲かせる。『和名抄』では「萱草、一名忘憂。漢語抄云、和須礼久佐」とある。『万葉集』に恋の苦しさを忘れさせてくれる草、という意味で詠まれるが、平安時代では恋人を忘れる、の意と掛けて人忘れ草として用いられた。
●住吉の……住吉に、「住み良し」を掛ける。
●きしかたのよ……「岸」と「来し」を掛ける。
●そこに……「其処」と「底」を掛ける。