醍醐天皇の更衣となり、近江更衣・中将更衣と称される。延喜三(903)年、禁色を許されるなど、その寵愛は厚かった。三男五女をもうけ、そのうち一男一女を除いて親王宣下を受けている。その二人がなぜ宣下を受けなかったのかは謎だが、その一男がのちの左大臣源高明となるのだから、人生とはわからないものである。(by えんじゅ)
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