『紫式部集』日記歌
題知らず
5 世中を なになげかまし 山桜 花見るほどの 心なりせば
『新千載集』巻第十五 恋五、1548
題知らず
6 かき絶えて 人もこずゑの 嘆きこそ はてはあはでの 森となりけれ
【通釈】
題知らず
5 山桜を見ているときのような物思いのない心持ちであれば、どうして世の中はつらいものと
嘆くことがあろう。けれど実際にはそんな気持ちにはなれないことだ。
題知らず
6 あの人の訪れもなくなって、わたしの嘆きは木の梢のように生い茂り、
ついにはあの、逢うこともないという「あはでの森」となってしまったことよ。
【語釈】
●なに嘆かまし……「せば」+「まし」で反実仮想となり、どうして嘆くことがあろうか。しかし実際は嘆かずにいられない。
●山桜……東北地方の一部、関西以西、四国、九州などに咲く野生の桜。新暦の4月初めに赤銅色の若葉とともに一重の白、または淡紅色の五弁花を咲かせる。ソメイヨシノなどより早く開花する。
●花見るほどの心……意味が二通りに解されている。
・桜を見ているときのような、物思いのない心 『大系』『国文』『全評』
・山桜の花の一盛りほどの、はかない人生だと思い諦める心 『評釈』
●かき絶えて……たよりや訪れが途絶える。
●人もこずゑの……「梢」と「来ず」を懸ける。
●嘆きこそ……嘆きに「木」を懸ける。
●あはでの森……歌枕。播磨国揖保郡阿波庭神社の森とも、尾張国下津里の南部(海部郡甚目寺町上萱津)の森とも言われる。「あはで」に「逢はで」を懸ける
【参考】
『後拾遺集』春、104
「題知らず
世の中を なに嘆かまし 山桜 花みるほどの こころなりせば」
『廿巻本雲葉集』巻十五、31
「題知らず
かき絶えて 人も梢の 嘆きこそ はてはあはでの もりとなりけれ」 |