『紫式部集』日記歌
源氏の物語御前にあるを、殿の御らんじて、例のすずろごとども出できたるついでに、
むめのしたに敷かれたる紙に、書かせ給へる
3 すきものと 名にしたてれば 見る人の をらですぐるは あらじとぞ思ふ
とて、たまはせたれば
4 人にまだ 折られぬものを 誰かこの すきものぞとは 口ならしけむ
【通釈】
源氏の物語が中宮の御前にあるのを、殿がご覧になって、いつもの
冗談などを言い出された機会に、梅の実の下に敷かれた紙に、お書きになった。
3 梅の実は酸き(すっぱい)ものだと有名だから、見る人はその枝を折らずにはおれないのだ。
式部も(源氏物語のおかげで)好き者だとそれは有名になっているのだから、見る人は、
きっと逢って我がものにしないではおれないと、思うことだろう。
とお書きになって、くださったので、
4 とんでもない。まだ人に折られたことなどありませんのに、誰がその実を酸っぱいと、
口を鳴らしたりするでしょうか。わたしは誰の求愛も受けた覚えはありませんのに、誰が
そんな噂を言い触らしたのでしょう。
【語釈】
●例のすずろごとども……いつものような冗談。
●すきものと……梅の実の「酸き物」と色好みの「好き者」を懸ける。
●名にしたてれば……それこそ評判になっているものだから。
●折らで過ぐる……梅の実のついた枝を折ることに、式部を我がものにする意を込める。
●口ならしけむ……酸っぱい物を食べて口を鳴らすことと、言葉巧みに言いふれる意を懸ける。
【参考】
『紫式部日記』
「源氏物語、御前にあるを、殿の御覧じて、例のすずろごとども出で来たるついでに、
梅の下に敷かれたる紙に書かせたまへる
すきものと 名にし立てれば 見る人の 折らで過ぐるは あらじとぞ思ふ
とて、賜らせたれば
人にまだ 折られぬものを 誰かこの すきものぞとは 口ならしけむ」
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