めづらしき

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    宮の御産養(うぶや)、五日の夜、月の光さへことに隈なき水の上の橋に、
    上達部、殿よりはじめたてまつりて、酔ひ乱れののしり給ふさかづきの折に、さし出づ    

87 珍らしき 光さし添ふ さかづきは もちながらこそ 千世をめぐらめ

    またの夜、月のくまなきに、若人たち舟に乗りて遊ぶを見やる。
    中島の松の根にさしめぐるほど、をかしく見ゆれば

88 曇りなく 千歳に澄める 水の面(おも)に 宿れる月の 影ものどけし

    御五十日の夜、殿の「歌詠め」と、のたまはすれば、卑下してありけれど

89 いかにいかが 数へやるべき 八千年(やちとせ)の あまり久しき 君が御世をば 

    殿の御(おほん)

90 芦田鶴(あしたづ)の よはひしあらば 君が世の 千年の数も かぞへとりてむ

【通釈】
 
    宮の五日の御産養があった夜、皇子の出産という輝かしい光に溢れるところへ、
    満月の光までもがさらに影もない池水に射している。その池にかかる橋に道長殿を
    はじめ、上達部の方々が酒に酔い痴れ、大声でお話しなさりながら、盃を出された、
    その折に返杯した歌。

  皇子の出産という瑞事の月光までが射し込むこの盃は、望月が千世をめぐって
  運行するように、千世にわたって幾人もの人が持ち、めぐりゆくことでしょう。そして
  殿の栄華も欠けることなく永遠に続くことでしょう。

    翌日の夜、月が影もなく照らし、若人たちが舟に乗って管弦の遊びをするのを眺める。
    池の中島の松の根元あたりを舟が漕ぎ回る様子が、興趣あると思われたので、

  曇りなく、千年にわたっても澄んでいるであろう池の水面に月の光が宿っているように、
  今をときめく道長の一家、そこにさらに加わった皇子も平穏安泰であることだ。

    御五十日の夜、殿が「歌を詠め」と仰せになったので、遠慮していたが、

  八千歳の長きにわたって続く皇子のご寿命を、まあ、いったいどうやって
  数えあげればよいのでしょう。

    殿の御返歌。

  千年生きるという鶴の齢がわたしにあれば、きっと若君の千年と続く寿命も数えとろうではないか。


【語釈】
宮の御産養……寛弘5(1008)年9月15日、一条天皇の皇子敦成親王(後の後一条天皇)のための道長主催の五日の御産養(出産日から3日、5日、7日、9日目に親族から衣服・器具・食物などを産家に贈り、賀宴を催して、祝賀する行事)が行われた。
盃のをり……賀宴の際、上達部などが女房に酒杯をさして、返杯のとき和歌を詠ませる場合。
●めづらしき光さし添ふ……光が射し加わる。皇子が誕生したことをたとえる。
●さかづき……「栄(さか)」を懸け、「栄えの月」を意味する。道長一門の栄華を暗示。
もちながらこそ……望月の「もち」と「持ち」を懸ける。道長一門の栄華が「望(欠けるところのない円満)」のままに。
●千代をめぐらめ……永続するでしょう。

又の夜……9月16日。
若人たち……『紫式部日記』により、左の宰相中将(源経房)・殿の中将の君(藤原教通)・右の宰相中将(藤原兼隆)が、小大輔・源式部・宮城の侍従・などの若い女房たちを誘って舟に乗せたことがわかる。
さしめぐる……棹をさして漕ぎ巡る。
●千歳に澄める水の面……道長一門の栄華を指す。

●卑下してありけれど……『紫式部日記』によれば、同僚で自分より格上に当たる宰相の君がすぐ歌を詠まなかったので、自分が先に詠むのは失礼だと遠慮していたとある。
御五十日(いか)……皇子誕生後、五十日目の祝儀。
いかにいかが……「いかに(なんとまあ、〜か)いかが(どうやって)」と「五十日」を懸ける。
数えやるべき……数えあげることができようか。
●八千年のあまり久しき君が御世……幾千年にもわたって続く皇子のご寿命。

殿の御……「土御門殿(道長)の御返し」の略。
●芦
田鶴……芦の生える水辺に多く生息することから、鶴の別称。歌語として用いる。
齢しあらば……紫式部日記流布本の多くが「あれば」。家集・書陵部黒川本・松平文庫本紫式部日記・日記絵詞・栄花物語(初花)などは「あらば」

『続古今集』賀、1895
「後一条院生れさせ給ひての御五十日の時、法成寺入道前摂政、歌よめと申し侍りければ
いかにいかが 数へやるべき 八千年の あまり久しき 君が御代をば」