人の
84 け近くて 誰も心は 見えにけむ ことはへだてぬ ちぎりともがな
返し
85 へだてじと 慣らひしほどに 夏衣 うすき心を まづ知られぬる
86 峯寒み 岩間こほれる 谷水の 行末(ゆくすゑ)しもぞ 深くなるらむ
【通釈】
あの人の歌
親しみやすいものだから、誰にもわたしの思いはわかってもらえたでしょう。
この上は、できることなら隔てのない契りを交わしたいものです。
返事
隔てをおくまいと前々からそのつもりでいましたのに、夏衣の薄さを見ると、
あなたの志の薄さをまずもって知らされることです。
冬、峯の頂は寒いので、岩間を流れる谷水も凍り付いて浅い流れだが、
春になれば解けだして、行末こそは深くなっていくだろう。そのように、
わたしたちの仲もゆくゆくは深いものになることだろう。
【語釈】
●人の……漠然とした言葉が、実は特定の人、すなわち夫婦・恋人の間での呼称。宣孝を指す。
●け近くて……広義には、「近しくなる」。その程度は諸説ある。
・人づてでなく話すようになって、近しくなって 『大系』『集成』『論考』『評釈』『国文』
・親しみやすい人柄なので 『全評』
・言葉などではなく、枕を交わしてこそ 『新書』
●ことは……「ことば」と濁点を付けて名詞ととる説がある。
・副詞。いっそのこと、できることなら。 『論考』『国文』『大系』『全評』 ・言葉 『評釈』
●へだてぬちぎり……隔てのない縁、間柄。恋人・夫婦など、一歩踏み込んだ仲。
●隔てじと……心の隔てをせず、うちとけようと。
●慣らひしほどに……慣れ親しんできた間に。
●夏衣……「うすき」にかかる枕詞。ひも・すそ・ひとへなどにも懸かる。
●岩間氷れる谷水……岩間の水が凍っているので、今は浅い谷水が。谷水が何を指すかは諸説ある。
・まだ十分にうちとけていない二人の仲。 『全評』『大系』『集成』
・詠者自身(宣孝) 『評釈』
・式部の心 『国文』
●行末しもぞ……「しも」は副助詞の「し」+係助詞の「も」で強調の連語。行末こそは。