ましもなほ

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    都の方へとて、帰る山越えけるに、呼び坂というなる所の、
    いとわりなきかけぢに、輿もかきわづらふを、おそろしと思ふに、
    猿の、木の葉の中より出で来たれば

81 ましもなほ 遠方(をちかた)人の 声交はせ われ越しわぶる たごの呼び坂

    水海にて、伊吹の山の雪いと白く見ゆるを

82 名に高き 越の白山 ゆきなれて 伊吹の岳を なにとこそ見ね

    卒塔婆の年経たるが、転(まろ)びたふれつつ、人に踏まるるを

83 心あてに あなかたじけな 苔むせる 仏の御顔(みかほ) そとは見えねど


【通釈】

    越前から都の方へ帰ろうとして、鹿蒜山を越えるのに、呼坂とかいうところ
    の険しい山道に、輿も通りかねるのを、恐ろしいと思っていたところ、
    猿が木の葉の中からとてもたくさん出てきたので、

  猿たちよ、遠く離れてはいるけれど、田子の呼坂という名前の通りに
  呼び声を交わしなさい。わたしが越えるのに難儀している、この坂を
  無事通り抜けられるように。

    琵琶湖にいて、伊吹山の雪がとても白く見えるのを

  名の知れた、加賀の白山の雪を見慣れてしまったせいか、伊吹山の頂の雪など、
  何ほどのものでもないと見えてしまうことだ。

    卒塔婆の年季の入ったのが、転び倒れ、人に踏まれているのを見て、

  当てずっぽうに、これは卒塔婆かと思って見てみると、ああ、もったいないこと、
  その通りだった。苔むしている卒塔婆は、とても仏のお顔とは見えないけれど。

【語釈】
●かへる山……福井県南条郡今庄町大字帰の山。武生市から木ノ芽峠を経て、敦賀市へと続く道が
通る。
●呼坂……現在、地名としては残っていない。
角田文衛によれば、現在の木ノ芽峠に当たるとし、敦賀市新保から二ツ屋にかけての険峻な道だ
としている。
●かけぢ……懸け路。岩石が多く、細く険しい山道。
かきわづらふ……運びづらく感じる。
まし……「猿」に「汝(まし)」を懸ける。

遠方人の……距離的に離れた人ではあるけれど。
たごの呼坂……古本系陽明文庫蔵本「たにの呼坂」、橘常樹本「たとの呼坂」。
越路の呼び坂を越えているとき、『万葉集』の「東路の手児の呼び坂」を思いだし、このように言った。

伊吹の山……近江(滋賀県)と美濃(岐阜県)の県境にある山。標高1377m。
ゆき馴れて……「行き」に「雪」を懸ける。式部が実際に登ったわけではないが、見馴れていたのでこう言ったものだろう。
なにとこそ見ね……物の数でもないと思う。
●卒塔婆……仏の供養や標示のために建てた石塔。
●まろびたふれつつ……転び倒れたままの状態で。
●あなかたじけな……ああ、おそれ多い。
●苔むせる……卒塔婆が苔むしている。
●そとは見えねど……「〜ぞとは」と「卒塔婆」を懸ける。卒塔婆は、仏の御顔だとは見えないが。


【参考】
『夫木和歌抄』雑三、坂、647
「ましらなく をちかたびとに 声かはせ われこしわぶる たごのよびさか」
 此歌は宮このかたへとて、帰山をこえけるに、よびさかといふ所のわりなきかけぢを、こしもかきわづらふ、おそろしとおもふに、さるのこのはの中よりおほくいできたれば、よみける、と云々。」