侍従宰相の五節の局、宮の御前いとけ近きに、弘徽殿の右京が、
一夜しるきさまにてありし事など、人々言ひ立てて、日蔭をやる。
さしまぎらはすべき扇など添へて
100 多かりし 豊の宮人 さしわきて しるき日蔭を あはれとぞ見し
中将少将と名ある人々の、おなじ細殿に住みて、
少将の君を夜な夜な会ひつつ語らふを聞きて、隣りの中将
101 三笠山 おなじふもとを さし分きて 霞に谷の へだてつるかな
返し
102 さし越えて 入ること難み 三笠山 霞吹き解く 風をこそ待て
【通釈】
侍従宰相の五節の控え室が、中宮の御前にたいそう近いところにあったので、
弘徽殿女御に仕えていた右京が、その晩目立って立ち働いていたことなど、
人々がことさら口々に噂して、右京に日蔭の蔓を贈った。
人目につかないようにするための扇などを添えて贈った歌。
おおぜいいた豊明節会に奉仕する人々の中でも、とりわけ目立っていた日蔭の蔓
(日蔭の身分のあなた)をしみじみと眺めたことです。
中将、少将という女房名を持つ人々が、わたしと同じ細殿に住んでいて、
わたしが少将の君と毎晩のように会っては語らっているのを聞いて、隣に局のある中将が、
中将・少将と、同じ三笠山(近衛府)の麓にあるというのに、谷が霞で隔てるように、
あなたはこっそりと差別して、わたしを仲間はずれにすることですね。
返事
霞で視界のきかない三笠山は踏み越えて入ることは難しいので、霞を吹き飛ばす
ような風を(あなたがうちとけてくださるのを)待っているのです。
【語釈】
●五節……五節の舞姫のこと。11月中の丑の日の夜、特に選ばれた五節の舞姫が参内し五節所と呼ばれる常寧殿に入る。帝が常寧殿の帳台に渡御、舞姫たちの試演と殿上人の乱舞を御覧になる(帳台の試み)。
翌寅の日、清涼殿にて「殿上の淵酔」を行い、夜は清涼殿廂の間で舞を行う(御前の試み)。
翌卯の日、清涼伝に舞姫の介添えの童女や下仕えを召し、廂に座らせ帝が簾中から御覧になる(童女御覧)。
翌辰の日、紫宸殿で豊明の節会、舞姫たちは五節の舞を行う。
●侍従……中務省の官。天皇に近侍、政務の補佐をする。官位相当は四・五位。
●侍従宰相の五節の局……当時参議で侍従を兼任していた藤原実成が差し出した娘の五節の舞姫。
●弘徽殿……実成の姉、一条帝女御義子。
●一夜……先夜・あの夜。
●しるきさま……人目につく様子。
●日蔭……大嘗会・新嘗会の際、冠につける飾りの組み紐。
●さしまぎらはすべき……開いて人目に立たぬようにするための。
●豊の宮人……豊明の節会の儀式に奉仕している宮仕えの女房。
●さしわきて……ことさらに、格別に。
●しるき日蔭……ひときわ目立った日蔭のカズラを付けたあなた。
●細殿……内裏の殿舎の庇の間を仕切って、女房たちの部屋としたもの。ここは一条院御所の細殿。
●少将の君……源時通の女、小少将の君。中宮彰子の従姉。
●中将……女房の1人。小中将の君か。
●三笠山……奈良の春日神社のある山。天皇の天皇の御蓋(みかさ)となり守るという意味から近衛府の大将・中将・少将の異名となった。
●さし分きて……分け隔てして。
●霞に谷の隔てつる……霞によって、谷が隔てられてしまった。「霞」と「掠み(騙す、人目を盗む)」を懸ける。霞・谷が何を指すかは諸説ある
谷 ・式部 『全評』 ・中将と少将の仲 『論考』『集成』 ・中将の君 『国文』
霞 ・式部 『評釈』『集成』『叢書』 ・式部の隔意 『論考』
●さし越えて……踏み越えて。
●霞み吹き解く……霞を吹き散らす。
●風をこそ待て……係り結びで「こそ」+「待ては」の意。風を待っているのですよ。
【参考】
『紫式部日記』・『栄花物語』・『後拾遺集』などに詳細記事あり。